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10年以上発達障害について専門に研究してきて、沖縄で発達障害や引きこもりの児童を受け入れる児童施設、ドーユーラボの開設をした。東京に戻り、東京時代の知人に会うと、”つらい察し”があり、多くの知人と距離を置いた。極端なことを伝えると、僕の周りは発達障害の仲間だらけだ。

自分が発達障害である問題よりも、その研究を非難されたり、煙たがれる圧力の方が多くて、嫌な経験もしてきた。近い未来に、個性的な仕事、専門職につく人の多くは、生まれながらに気質が異なる=発達障害となることを先読みをしていた。

小中学生の8.8%に発達障害の可能性 文科省調査

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0891U0Y2A201C2000000/

 

だから、子供たちだけでなく、大人の発達障害者は12-13人に1人おり、ゲーム・IT業界など非常に多いと考えている。僕の周りは、そのような人ばかりだった。発達障害に一般の人との中間地点のグレーゾーンはなくて、定型発達か発達障害かは明確にわかれる。

久しぶりの仲間にあって、僕の事業を紹介すると、顔色が曇ったり、パニック気味になる、発達障害を否定したり、極端な対応を取られることが多い。面白がって僕が研究をするほどに、東京の周囲の人は距離を置きだした。10年近く発達障害を学んでいると、ITやゲーム業界との関わりが厄介になってきた。

沖縄で、発達障害の診断を受けた児童やご家族をみると、この程度で発達障害の診断が降りるのか、と驚くことが多かった。主治医が、やたらに発達障害の診断をつけている、ぐらい思うこともあった。

ところが、どの精神科医も同様に、しっかり診断をつけており、親御さんや、家族も連鎖をして診断がつき始める。そのうち、LGBT以上に、社会に浸透をして自然化するに違いないと思っている。幼児・学童期の子供がいる家族にとって、今は、発達障害については非常に身近な問題で、興味や関心はあるが、人に聞きづらい問題でもある。

多くの人は、周囲や社会、組織全体を俯瞰をした、自分を客観的に気づけないからだ。

昔から、「ADHDやアスペルガーなど、カミングアウトできますね?」と僕に伝えられるが、近い将来に多くの人が該当するだろうから、僕は、風邪やインフルに罹ったぐらいに、問題がないぐらいに思ってるし、発達障害への偏見だなと考えている。

発達障害かもしれないと自覚をして、薄々感じても、受け入れるまでの苦労や、葛藤の想像はできる。性格気質やうつ病など、他の原因とされていたことの、一次障害が発達障害だとすると、治療の過程で、過去の離婚や、トラブルの自分への原因がわかってくるから、過去のトラブルの再精算をしなくてはいかなくなり、それが、障害による思い違いや、トラブルだったことと気がつけば、経験の補正を受け入れることが本当に苦しいのだと思う。

だから、私のように早期に自分をわかったほうが得なのだ。

メディアにも責任があって、落ち着きがないとか、こだわりが強いといった、見えやすい症状が伝わりやすいので、表面上の不適応や違いばかり取り上げている。ある程度のインテリジェンスがあれば、見えやすい不適応問題は抑えられる。もしKYで自分のことばかり伝えすぎる人や、自分中心が見えすぎる前回な人でも、それが社会で認められて受け入れられているので、問題がなかったりもする。パートナーや職場の環境も、その傾向の人が多ければ、生活に問題がない。

例えば、私のような、会社の社長や、飲食店のオーナーは、ADHD気質だから、一般社員へ経営者意識を疑わないので、「独立を志望して働いてほしい」「インセンティブも成績であげる」ということを従業員に伝えて、なぜわからないのか?と悩む人は多い。

一般的な人(定型発達)は、100%儲かったり得をするとわかっていても、その行動を取らず、周囲の人に協調する。目に見える得があっても、先が見えない努力はしないし、変わったことはしない。日本社会の問題にもなるが、起業したり、新しいビジネスを作り上げるよりも、何もしないほうが、大きなリスクもなく、何もしない人の集団の多数派に属したほうが、楽だ。

一方、自立をして、自由で、信念ある事業をやったり、福祉にしても、ボランティア活動のようなこと、お金や経済だけでもなく、「心の自立の欲」が強く、生まれながらに、本人はそれが普通なので、欲深いことを疑うこと難しい。また、起業家精神が強い人の周りには、当然類する仲間が集まっている。ADHD系の発達障害の人が集まるのだ。

ITのエンジニアの人は、数時間もPCに向かって仕事をするし、自主的に勉強会や、新しい技術のために、会社の外でも学んでいるが、仕事でもあるし、興味関心も強い。もちろん、大変素晴らしいことだが、一般的な人は、机に数時間座って、常に頭の中に演算をしたり、変数や、サブルーチンなど思考を張り巡らすことは辛いでしょう。会社の外でも、仕事を学ぶというモチベーションは相当低く、だから、エンジニアの仕事は、誰にでもできることではない。

世の中は、間違いのない、正確さ、スケジュール通りに沿うことの面倒さを、知っている。ところが、ADHDやアスペルガーの人から見れば、一般の人へは、嘘つきになるし、何も仕事をしないなと思ったりすることもあると思う。

僕が昔作った、音楽ゲームも、極めるために長い時間集中をするのは、相当大変なことで、さらに、ADHD系の部族は、同じことを繰り返すことこそ辛いものはありません。ピッタリ正確にボタンを押すことと、長年、透明で見えなかった音を、タイムラインで視覚化できたことでは、音楽を耳で聴くことが、少々弱く、視覚優位なアスペルガー系の人は、ゲームを超えて、音楽を感じるための革命だったと、自分でも気づき、音楽に関心が持てなかった層にも影響を与えたのだと。

では、一般的な人は特技がないのか?といえば、自分で手を動かしたり、リスクを取らない分、ADHDやアスペルガーの人を協調させ、組織全体で最適化をする思考がある。だから、彼らは、本当に正しいこと、貫くことについては、発達障害の人に任せて、広い視野で時間をかけて最適化・調整をする機能になる。

僕は、発達障害の人も、一般の人も、社会機能のために必要な部族で、本当は誰もが障害ではないと考えている。

そして、発達障害の当事者の人は、一般の人の思考が読めていない方が多い。発達障害について興味深く調べ学ぶ人は、すでに発達障害な人で、だからこそ、研究を追求しており、この障害について調べたり、まとめる人も、当事者に思うのだ。

一般の人は、極めようとしないし、ネットの書き込みも、わざわざしない。その時間があれば、他の時間に要するでしょう。芸能人や、いろいろな社会のニュースについて、ネットで議論されるものの、わざわざ、自分の生活と直接関係のないこと、直接知り合いではない人に、エネルギーを使って、投稿をすることもしない。

一般の人からすれば、当事者の人が、自分の中の正義で、社会に対して許せなくなって、いろいろな掲示板で議論をすること自体のモチベーションも理解できない。

社会の出ていくことも、一般の人は恐怖がある。もし、優れた才能があって、良い大学を出て、一般の企業で普通に生活ができるならば、それで良いでしょう。人目を気にしなくてはいけない、ミュージシャンや芸能人などにならない。欲が平均化しているので、有名になったりお金を稼ぐハイリスクハイリターンで生きるのならば、一生一回ならば平穏で普通に生活したい。

でも、発達障害の人は、一生一回しかないから、自己実現を切望する。

発達障害は、生きづらいのか?と言えば、ところどころ、自分に最適化した環境があれば、問題がないもので、同じ当事者同士結婚をすれば、お似合いのカップルでしょう。そういう家族はたくさんある。会社でも、発達障害だらけの組織はたくさんある。その世界では、多数派だ。

ただ、出世や、組織づくり、マネジメント、結婚、いろいろな場面でつまづきも多く、これまでは、それをうつ病や、適応障害としたのでしょうけれども、根っこは、発達障害だったりする。

定型発達な多数派でも、アスペルガーでも、ADHDでも、それぞれの気質を知り合って、社会への関わりや役割を俯瞰をしていけば、経済の回復も、新しい事業も、戦争も、多くのことは解決すると、僕は信じる。

 

それぞれの気質を簡単にまとめると、

アスペルガーの人は、損や得よりも、情や恩義、真実や理念へのこだわりがある。ADHDの人は、自分中心で、合理的で全体思考だ。だから、ADHDの人が、儲かるとか、効率的であるとしても、アスペルガーの人は、信念ベースなのでうまく伝わらない。ADHDの人が、一般の人をまとめる際には、損や得ではなく、平穏や安定の合理性訴求の方がうまくいき、ADHDの人が、アスペルガー優勢の組織をまとめるには、損や得を超えて、恩義や信念をつたえる方が、ぶれずにいく。

例えば、日本のゲーム業界が、新しいジャンルやイノベーティブなゲームが生まれなくなっているのは当然のことだ。ADHD気質が、既成概念にとらわれずアイデアを出しても、形式やプロセスにこだわるアスペルガー系の人が優勢ならば、マーケティングで続編の方が安全となるだろう。ADHDは、破壊的なイノベーションで、黎明期な時期に集まる。1990年代のプレステなどの次世代機・マルチメディアな時代の最初にたくさん業界にいて、いろいろな新しい分野が生まれた。その後、市場が形成されると、アスペルガー系の人々があつまり、また、一般の進路を歩まない、ゲーム専門学校などで、ゲームが好きで専門に学びたいアスペルガー系の人物が増加すれば、今のゲーム業界になることはよくわかる。

世の中は、市場経済でADHD的な得を追求する時代から、地球全体の信念ベースをSDGSといった理念も加わってきて、極めて、アスペルガー的でもあり、環境問題などへの関心の強さはもっとも。新しく切り開くことは、ADHD集団。保守的に守ることはアスペルガーなのだ。

 

今、発達障害をわかってほしい、といった社会への啓蒙が多く、私たち当事者のことを知ってほしいというエネルギーも強すぎるぐらいに感じる。実は、10-12人に1人の発達障害の人こそ、一般の思考を分析することも非常に大切なことにも思う。

僕は、当事者だが、長年学び続けてきて、相互理解な時代になったと感じる。そろそろ、「発達障害の側から、定型発達を学ぶこともしたら良いのに」それが相互理解と思う日々。

 

近い未来に、発達障害から障害がとれることを、期待をしています。