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普通の人は、無意識にウソをついている…発達障害の49歳男性を苦しめる「わかります」という言葉のウソ

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発達障害の当事者が、嘘をついてはいけないのか? について、僕のニュース記事で議論されていて、なるほどと思った。多数派(定型発達)が厄介なのは、本当のことを伝えすぎるほど、裏の意味だったりもする。言葉の裏の駆け引きが日々おこなわれていて、テキストや言語の伝達が中心な、発達障害の人は、何をやっても読まれているぐらいに考えた方が良い。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f23d0dc089132a90705b78cb31e0e538b8651da6

多くの人は、言葉を超えた「非言語メッセージ」で感情や思いの交換をしあっている。顔の表情、身振り手振り、口調、目線など全て統合して出力、入力をしている。言葉で伝えることと、人々の表情や雰囲気の総合した表現が稀にズレていて、”言葉では、YESと伝えているが”これは、本当はやりたくない、嘘だなと感じることもある。ちょと微妙な感じだなとも、読み取れる。

会社員時代の打ち合わせを振り返れば

「議会制で進めていたとしても、座る位置や、会議前の雑談、周囲の人々の目配せ、視線、人々の態度で、議論をする前に、中心人物やお膳立てが完了していて、打ち合わせ前に結論は決まっているな、出来レースだなと、想像することが多かった。」正しいことを伝え合えすぎれば、全て裏を読み、逆で、お互い徐々に探り合っているぐらいにも見える。

非言語メッセージなハイコンテクスト世界の中では、当事者が周囲を配慮をし取り繕っても、見破られていると思う。もし、感謝をしていないのに、「感謝をしています」と伝え、別の態度だったり、その後にまるでわかっていない態度を取ってしまったら、信頼されなくなる。

僕の主治医から教わったこと。

当事者は、取り繕うよりも、「思っていることを、そのまま正直に伝える」方が、数年、数十年にわたる信頼を獲得できる。

本当のことを伝えて、怒らせてしまったとすれば、怒らせてしまった相手もかなりの当事者ぐらいに思った方が良い。それは、その相手も言語だけ、部分理解をしているからだ。「普通の人は伝えづらい、発言しづらいのに、あなたが伝える意思は素晴らしい。でも、状況をわきまえなさい」ぐらいは伝えられるかもしれないが、厚い信頼されるだろう。

キツくても本音で伝えると、会社や上司からは評価されることの方が多い。僕が、これまでの人生で新しいことができて、会社員時代に評価をされて、今の自分があるのは、若い頃は今以上に、思っていることを人の顔色を見ずに伝え、それを汲み取ってくれる上司がいたからだ。

多くの人は、場の配慮のために、相手の配慮の結果、相手を傷つけない代わりに、自分も守ってくださいという、「相互防御システム」が存在している。相手を傷つけない配慮は、自分を守る防御手段とも捉えられる。ただ、全体最悪になることも多い。

このニュース記事は、発達障害の人の大切な問題を取り上げてくださっていて、はっきり物事が言えなく、人とは異なることをすすめてしまったり、リスクを恐れる日本社会の問題にもつながる。イノベーションが起きにくかったり、起業家が現れない大問題の原因にも思う。

映画、「釣り馬鹿日誌」の浜ちゃんと、スーさんの会話は本当にためになると、これも主治医に教えていただいた。スーさんこと社長は、本当のことを言わない幹部にヤキモキしながら、しっかりぶつかってくる浜ちゃんに惹かれるのだ。「男はつらいよ」の車寅次郎も正直もので、KYだ。本気で相手とぶつかっていくが、一番の理解者は”さくら”どころか、しっかりその場を俯瞰して、寅次郎が伝えられない思いを論理的にまとめるのは、寅次郎が煙たく思う”ひろし”だったりもする。ひろしが、一番、寅次郎のことをわかっているのだ。ドラマとはいえ、ドラマになれるぐらいに、当事者をうまく表すのが山田洋次だ。発達障害の人物描写がとても上手いと思う。

僕も、過去、株主や、大きな会社の社長へは、自分そのままでぶつかっていった。良いと思っても、リスクが怖くて新規事業が進められない大企業に、外部のコンサルやアドバイザーの立場で入り込んだことがあった。気づいたのは、会社員はこの方が良い、やりたいと心に思っても、リスクが怖いので、やれないのだ。だから、外部の人である私を理由に、私が主導に動いたからうまくいったケースが何度もあった。

若い頃に、僕が、本当に、本気でぶつかって事業をやった結果、多くの人が、僕を応援してくれて、好きなことをやり続けられた。沖縄で立ち上げた、ドーユーラボも、いろいろな人に助けていただいたのは、ぶれなかったからだ。

日本のハイコンテクスト(言葉だけではない、統合的な空気を読む)社会に対して、言語中心な当事者は、それ以外の多くの表現を失っているので、正直であることを開き直るしかない。お釈迦さまの手に載る孫悟空だと思った方が良い。僕は、可愛くないのに、可愛いと伝えたり・・・その程度なことは、大人になればできるようになる。でも、社会は、もっともっと複雑な、言葉や文字ではない社会が繰り広げられている。

だから、違うと思ったら、何が違うのかを説明すれば良い。

違うことに対して、「適当に当たり障りないことを伝えれば良いのに、わざわざ細かく伝えるということは、しっかり考えてくれている」ので信頼される。

子供達も、大人の嘘は見破れる。だから、本当が大事なのだ。

 

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