HISTORY / TIMELINE
THEN → NOW
作るものは変わっても、
やっていることは、あまり変わっていない。
コマーシャルの音楽
高校生の頃、AppleのラジオCMに自作曲が採用されたことをきっかけに、CM音楽制作の世界へ。ミノルタ「ZoomUp135!」(カヒミ・カリィさん出演)などを担当し、その後、マルチメディアコンテンツの会社でルパン三世マルチメディアコンテンツ制作をしました。
音楽ゲームという新しい場所
コナミ株式会社在籍中に、音楽ゲーム、ビートマニアやポップンミュージックの開発をおこないました。『pop’n music』は、少し個人的な思い出があり、学生の頃、同名のラジオ番組が主催するバンドイベントに参加し、僕のバンドが上位まで進んだ思い出だったりします
CROSS FADE
SONY COMPUTER ENTERTAINMENTでゲーム企画や日本語入力インターフェイスなどの研究に携わり、大学へ通いながら、avex traxでは浜崎あゆみさんやBoAさんなどの作品にも参加していました。
iPhoneとアプリ
スタートアップとしてYudo Inc.を起業。若い仲間たちとシリコンバレーへ渡り、いち早くiPhone向けアプリの開発に取り組みました。国内外でダウンロード・セールスランキング1位を記録しました。『太鼓の達人』iOS版の開発にも携わり、15年以上を経た現在も多くの方に楽しまれています。
© Bandai Namco Entertainment Inc.
トップセールスアプリ
ピアノアプリ『PianoMan』が、嵐によるプロモーションをきっかけに2,000万ダウンロードを記録。考案したマッチングアプリ『斉藤さん』は国内で大きな話題となり、累計3,000万ダウンロードを記録しました。
作ることから少し離れてみる
沖縄へ移住し、児童福祉施設「ドーユーラボ」を開設。
いろいろなことに興味津々な凸凹のある子どもたちと過ごす仕事を始めました。
仕事と楽しいことの「最大公約数」を探すことは、この頃から今まで続いています。
そして、スナフキン
会社経営の第一線を離れ、しばらく自由な生活へ。 音楽、アプリ、AI、映像、サーバー、ハードウェア。 興味を持ったものを、自分で触って、自分で作る。
ふりかえりながら、今
昔作った2MIXをAIで分解し、
ベースやキーボードを演奏し直し、
当時の曲を、今の環境でもう一度作ってみる。
気がつけば、子どもの頃からやっていることは、
あまり変わっていないのかもしれない。
さて、これからどうするんだ、俺?
Technology changes.
Curiosity doesn’t.
南雲玲生 / Reo Nagumo / DJ NAGUREO
音楽、ゲーム、アプリなどを作ってきました。 昔から興味を持つと、とりあえず自分で触ってみないと気が済まない性格です。
小学生の頃、坂本龍一氏やYellow Magic Orchestraに夢中になったことをきっかけに、 シンセサイザーやコンピュータの世界へ入りました。 ラジオ、短波放送、電子工作、8bitマイコンにも興味を持ち、 自作の受信機や簡単な音源を作って遊んでいました。
ゲームと音楽を作っていた頃
高校生になると本格的に作曲を始め、CM音楽などの仕事に関わるようになりました。 1996年にはゲーム会社へ入り、ゲーム音楽の制作をきっかけに、 次第にゲームそのものの企画や開発にも携わるようになりました。
20代前半には「ビーマニ」の開発に関わり、その後も音楽制作だけにとどまらず、
企画やゲームの仕組みを考える仕事へと、自分の関心と役割が広がっていきました。
後にスマートフォンの時代になってからも、その姿勢は変わらず、
『斉藤さん』をはじめとするアプリや、『太鼓の達人』のスマートフォン・タブレット版など、
企画の段階から関わる仕事を続けてきました。
当時の自分にとって、音楽とゲームは別々のものではありませんでした。 音、映像、操作、コンピュータを組み合わせて、 人が楽しめる「体験」を作ることが面白かったのだと思います。
振り返ると、自分は「音楽を作る人」というより、
音楽や技術を材料にして、「どうすれば人が面白いと感じるのか」を考えることが
好きだったのだと思います。
30歳で大学へ。そして起業
30歳を前にして、自分が知っている世界があまりにも狭いことに気づき、 大学へ進学しました。 ゲームや音楽とは違う分野を学び、多くの仲間とも出会いました。
学生になると会社員を続けることが難しくなり、自分で会社を作りました。 ところが、起業して初めて、大きな会社で働ける環境がどれほど恵まれていたのかを知りました。 優秀な人たち、開発環境、資金、組織。 外に出てから、その価値がよく分かりました。
起業後の数年間は決して順調ではなく、借金を抱えた時期もありました。 そんな中で登場したのがiPhoneでした。 日本で発売されると聞き、実物を見るためにサンフランシスコへ行き、 日本での発売とほぼ同時にアプリ開発を始めました。
音楽から、スマートフォンアプリへ
仲間たちと徹夜をしながら、「面白いもの」を作り続けました。 エアロギター、Pianoman、Matrix Music Pad、8Bitone、Livelink、 スマートフォン・タブレット版『太鼓の達人』など、 さまざまなアプリの企画・開発に携わりました。
その中でも、2011年に制作した『斉藤さん』は、 長い年月を経ても使われ続け、3,000万ダウンロードを超えるサービスになりました。 これまで自分が関わったアプリ全体では、 累計1億ダウンロードを超えていると思います。
ゲームを作っていた頃と、基本的な考え方はあまり変わっていません。 新しい技術が出てきたら、まず触る。 そこから「これで何ができるだろう」と考える。 そして、面白そうなら作ってみる。 ずっとその繰り返しでした。
作ることと、会社を作ることは違った
作品を作ることは好きでしたが、組織を大きくしていくことは、 自分にとってまったく別の仕事でした。 人数が増えれば増えるほど、考え方も、仕事への向き合い方も違ってきます。
そんな時期に、ある方から 「あなたは、何のために起業したのですか?」 と聞かれました。
考えてみれば、自分は大きな会社を作りたかったわけではありません。 面白いものを、面白いと思える仲間と作りたかっただけでした。
それからは、 「好きなことをやる。その代わり、自分で責任を持つ」 という考え方を大切にするようになりました。
沖縄へ
2014年頃から沖縄へ通うようになり、 やがて自分とどこか似た感覚を持つ子どもたちと出会いました。 そこから児童支援や福祉の世界に興味を持つようになりました。
2018年には那覇に生活の拠点を持ち、 沖縄の仲間たちと児童支援・福祉施設「ドーユーラボ」を開設しました。 沖縄市、那覇市、浦添市へと活動の場所も広がっていきました。
子どもたちを支援するつもりで始めた仕事でしたが、 実際には、自分自身が学ばされることの方が多かったと思います。 人には、それぞれ違う考え方や得意不得意がある。 当たり前のことですが、それを本当に理解することは簡単ではありません。
やんばるで、一人になる
コロナ禍では、沖縄北部のやんばるに家を借り、 数か月間、ほとんど人と会わずに暮らしていました。
通販で楽器を買い、音楽を作り、無線を聞き、 地元の共同売店で野菜を買って自炊する。 夜になると望遠鏡で星を眺める。 とても静かな生活でした。
そこで初めて、 「自分は一人でも、案外生きていけるのかもしれない」 と思いました。
同時に、時間、偶然、運命、人間の内面について、 以前よりもよく考えるようになりました。 本を読みながら、自分と他人は根本的に違う存在なのだという、 当たり前のことを改めて考えていました。
そして、また作り始める
50歳を過ぎた今は、以前のように、 何かを大きくすることそのものには、あまり興味がありません。
少人数の古くからの仲間と仕事をしながら、 自分が面白いと思ったものを、ゆっくり作っています。
音楽を作ったり、アプリを作ったり、 AIで映像を作ったり、サーバーを組んだり、 世界中のラジオを受信する仕組みを作ったり。
振り返ってみると、小学生の頃とあまり変わっていません。 コンピュータ、音、電波、機械。 知らないものを見つけると、まず触ってみたくなる。
作るものは変わっても、
やっていることは、あまり変わっていない。
これから
若い頃は、何かを作るたびに、 「次はもっと大きなものを」と考えていました。
今は少し違います。
じっくり、ゆっくり生きる。
仕事は、楽しいことしかやらない。
そして、面白いものを思いついたら、 たぶんまた作る。
それくらいで、ちょうどいいと思っています。
