今年は、ヒトとして学んだことの多い1年でして、かつイロイロな人と出会い、コミュニケーションをとることで、やっと(37年かかって)分かることもできました。
多分、一番充実していた年かもしれないです。
・そう感じさせる
・疑問に思っていたこと
・理解できたこと
は大きく4点。
「多くの人たちは漠然とした不安があるということ。特に若い人。」
「言葉の一つ一つが繊細であるということ。」
「生活の流れが、自分と他人は違うということ。」
「思ったこと、感情を、甘えられる人、親しい人にぶつけた方がよいということ。(僕の場合)」
「多くの人は漠然とした不安があるということ。特に若い人。」
ヒトは、オギャーと生まれてきて、おそらく、「家族」があり、「学校」、「友達」、「恋人」、「会社」と、集合体や組織に所属することによって、その受け皿、つまり他の存在によって自己を確立しているものと思います。
僕が育った、70年代、80年代は、今の中国やタイみたいに、高度成長を遂げる中で、その物質的なもの、ステータスを得ていく過程が漠然と見えている時代だったと思います。
例えば、一流の大学を出て、就職して、車を買って、結婚して、子供を育て、家を建てて、というような誰もが、そうであろう幻想(吉本隆明でいう共同幻想論か)をもっていたと思います。これは、ある意味ハッピーでした。
90年代、冷戦の終結、バブルの崩壊によって、黒か白かわからない。
人それぞれの生き方、社会への不信、ゆとり教育によって、何もかもが自由だけれど何も選択ができない、選択をするための判断能力もわからない。ということで、最近、若い人と話をしていると、漠然とした不安があるなと感じるようになりました。
エバンゲリオンも、子供の仮面ライダーも主人公同士が仲悪かったりして迷っているヒーローみたいな。
で、ボクは、何かをイロイロ言った際に、「社員が不安になるから?」とか言われることもあり、不安になると何がいけないの?って理解できませんでした。本当に。
「家庭」、「学校」、「友達」、「恋人」、ときて、大人になり、社会を見ると不安だらけです。わからないこともたくさんあります。「会社」、さらに経済、国家、社会、世界も、人々が持つ漠然とした幻想に過ぎないのでは、と考えます。この国ももしかしたら破たんするかもしれないじゃないですか。
そんな中で、ヒトって、死ぬために生きているんです。目的は死ぬことなんです。なので、寿命が来るまでに、途中で死なないように、失敗をすれば良いんです。いつ無くなるかわからない共同体と接しながら。僕が思うに、 「家庭」、「学校」、とか恵まれていたんだなと思います。勝間和代さんとかね、個人的に好きですが、頑張れば何とかなるって、危険だと思うんですよ。
頑張っても不向きなことはできないわけで。これは無駄なことなのです。
なので、頑張りたくないことは、頑張らなくて良くて、若いうちは、ドンドン辞めてしまってどん底になればよいんです。底辺になると、その後は、なんでも良く思える。
よく、社長さんの本に、失敗は成功のもと とか書いてあって、アホかと思ってましたが、失敗や破たんを経験せずに、守られた籠にいて、籠から落ちることも、出ることもできない、なんてことかなと思います。
逆に、そういう守られた環境にいた人は、子供時代に幸せだったんだろうなってうらやましいと思います。
ボクのうちなんか、住んでいた家がある日なくなって、楽器だけ持ち出して、子供の時から持っていたものすべて失ったし、大学もいかなかったし、一人で何とか住んでも家賃払えなかったし、お金がないのに、アルバイトをしていて、夜中に脱走して逃げたし。
今でも、社長には失業保険もないし、ボクのアイデアや企画が枯渇したら、会社も最後なんですよ。今のところは、ボクが中心となってしまっているので。
だから、日々楽しいことをして、新しい事業アイデアをストックしていくわけです。それには毎日を楽しまなくてはいけない。唯一の武器の、作曲ができることと、デジタル系オタクぐらいしかないんですけどね。
「言葉の一つ一つが繊細であるということ。」
これは、今年の納会で、初めて自分の感情に気が付いたことでした。
最後の日まで、みんな仕事で忙しく納会も忘れていたのですが、仕事を終えた人たちを順番に3回に分けて納会をしました。連日飲んでいて疲れていたのですが、頑張ってハイテンションでみんなに接した。
1回目、良いお店があって、飲み屋さんにしては、値段も高め。料理もよかったのだけれど、ラストオーダーを過ぎて、店員さんが「もう閉店ですので”ご協力”をお願いします。」って言った際に、
ご協力ってなんだと。普通の居酒屋だったら、こんな言動どうでもよいんですが、お店の質の割にこの応対に
「腹が立ったのと」
「何が理由で、腹が立っている自分自身に気が付いたこと(今までは、ボク特有の問題でわからなかった。)」
「楽しく終わらすために、店員に怒らなかった」
この時、まず、定番のお皿を下げて、そろそろ閉店だなと思わせる、という段取りを組めば、(一応常識的な)集団は理解できたはずなんですね。ぼくとしては、みんなを楽しませたかったという思いが一番で、料理やに気遣うお店の割に店員のその態度、ブチっと腹が立ったわけです。
また、経験上接客業は、見た目で判断することも多いので、周りのスーツを着たおっさんと比べれば、クリエイターなラフな格好のこちらを舐めたなっと。
同じぐらい、そのようなセンスを感じたり、気持ちになってしまった自分も嫌になりましたが。
社長になると、このようにイロイロ繊細になるんで、飛行機もわざわざ高いビジネスに乗るとか、エグゼクティブななんちゃら、というのも、分かる気がするのですが、小市民のボクが、その、応対に腹立ったこと自体、自分にもいやだな、と思いました。
このようなこと、今までは全く思わなかったのですが、
社外や取引先の方と連絡をしたり、たくさんの営業の方とやり取りをしていて、単語やら、言葉の一つ一つに優しさやら、厳しい要求だったりすることが分かりました。普通、わかるだろ!って思うかもしれませんが、ボクはその単語の意味の繋がりしか分からないし、その裏や意図を勘ぐることが出来ませんでした。今まで。
最近は、メールやら言動に対して、僕なりに神経質になって、一つ一つ単語の意味を調べたり、その文体を察しながら連絡を取るようにしています。
ボクの気質もあるでしょうし、クリエイター(ゲーム、音楽)には、さほど必要とされなかった能力なんでしょうけど。
逆に、ボクは相手に(難しく考えさせないように)ダイレクトにする努力はしていますけど。
「生活の流れが、自分と他人は違うということ。」
これは、ボクの思考のすべてが、いろいろなことを自閉的に考えることに起因しています。
例えば、ご飯を食べていても、考えることに夢中になっていると、味は入ってこないし、夢中すぎて1日ご飯を食べることを忘れることがある。さらに大きく見ると、家族には迷惑をかけているのだけれど、仕事やら楽しいことがあって、二日間とか何も連絡を入れずに会社で生活することが当たり前だってこと。
家にいても、仕事のことばかり。
寝ているとき、横になっているときも、アイデアを考える。
で、それが苦痛で大変なのかというと、むしろ快楽なのです。
経済的な対価がなくても、クリエイターを極めるとそういうものです。
(そうじゃないクリエイターは、駄目だとも思います。)
逆に、考えている最中に止められると、腹が立つわけです。
だけれど、それが、普通の人、社員、家族は違う。
「仕事」「家庭」「友人」など、それぞれ明確に分かれているようなんですね。
なので、この部分は、自分とは違うんだと思わないといけない。
ただ、これも最近の話なのですが、
「多分、ボクやユードーを知らない、日本中の多くの皆さんが、なるほどってわかることが起きる」かもしれません。
その準備のために、年末年始、正月でも、本当は今すぐに、夜中でも対策をして開発をしたいのです。実は、ずっと悩んでいました。
けれども、社長である僕が命令をすると、それは、ブラックな会社(笑)です。
なので、姑息に、誰かほかの社員に言わせようと考えたり、悩みながら、周りにいた人たちに、ボクの考えを話しました。
「クリエイターとしては、今すぐに、早く改良開発を行いたい。けれども、社長としては、(社労士もいるし、)正月は社員を休ませないといけない」勤務計算はどうするのかと。
その葛藤をいうと、若者が、すっと、
「それそのまま伝えた方がよいですよ。」
それをやらなければ、開発者、クリエイターとして失格だと。
ということで、自分は開発者、企画社として最適化した性格になっているわけですが、多くのヒトは違うんだ。ということの認識と、葛藤がある年でした。
「思ったこと、感情を、甘えられる人、親しい人にぶつけた方がよいということ。(僕の場合)」
昨年、本年度とユードーは急成長しました。
だけれど、ボクは一番危惧をしています。
多くの方が入社しました。
そして、様々な考えを持った人がいます。家庭もあるかもしれない。恋人と過ごす時間もあるかもしれない。
こんなガサツな僕でも、言葉を選び、昔のような?大胆なことをセーブしてしまうようになりました。
例えば、事業にかかわることであれば、上記の正月出勤の話。
自分たちが作ったものを、より多くのヒトに楽しんでもらうために、正月でも追求してリリースするべきじゃないか。労基がなんだと。
という自分と、人それぞれ生活がある。だから、強要はできない。
との葛藤。
今年、ボクがとても悩むところの大多数は、こういったコミュニケーション部分と立場です。
もっと、うまくいくからには、社長を交代して、事業部長的に君臨する方がよいんじゃないか。そして、社長を仮想敵として事業を遂行する方がよいのでは、と悩むこともありました。
多くのヒトは、イロイロなことで悩むと思いますが、
ボクの場合、考えていることと、伝えることが元々ストレートすぎて、自分本位。
なので、多くのヒトを傷つけるとかありました。
最近大人になって、そんな失敗もできないので、、なかなか本音をぶつけられないこともあります。
が、最近、本来の自分に戻すべきとも思っています。
ということで、今年は長い間共にした幹部には、思っていること、葛藤していることを伝えていこうと思ってます。
今年を締めくくるに当たり、長文になりました。
来年度もよろしくお願いいたします。