今日、会社の中で話をしていて、
ユードーって駄菓子屋さんみたいだ、
というコトになって、ボクの中で、物凄い発見でした。
幸い会社をやるようになってから、大学へ行って勉強をするふりをしたり
ロンドン、パリ、アムステルダム、ミラノ、シアトル、シリコンバレー、サンフランシスコ
やら、シリコンバレーのベンチャーキャピタルに会ったりして、空気やらいろいろ感じてきた。
今でも、分ったようなわからないような気もしているのですが、
元々はミュージシャンということでもあり、言語化するよりも感じる方が先で、
論理的にまとめるよりも、空間をイメージする方が早い。
そんなわけで、傍観者的なにイロイロみていると、
日本は、先進国というより、成熟化したふりをしているというか、
文化的で、民度も高いようなふりをしているというか、
直接的で、分りやすいことでさえも、気難しく複雑に伝えている
社会になってしまったように思えるのです。
たった、4半世紀前、
僕らは水道水をがぶ飲みしていたしさ、
電話だと失礼だから、大事なことは直接会いに行って謝れなんて言われたり。(今でもそうだけれど)
毎回、車が爆破されるドラマやら、トレンディーなドラマに真剣になったり。
若いころからボクは、ゲームを作っていたのですが、
次世代的な新しい技術やらに、背伸びをしてみたり。
すぐに、消費されてしまうような、カタカナ言葉を使うようになり、
最近だと、ソーシャルマーケティングだとか、ARだとか、仮想空間とか言って、
なんか、東京から発信されているようでいて、実はどこにも存在しないようなことで
魅せ方が上手で、プレゼンがうまかったり、声が大きいヒトが騒がれたり。
昔、吉本リュウメイの共同幻想論を読んだ、ちょっと精神世界をかじった感じで言うと、何か胡散臭いなと思うのです。
自分やら会社をカッコよく見せるテクニックってあると思うし、
面白おかしくしたり、奇をてらったり、そういうこと、必死で考えたりしたのですが、
ボクが、今まで作ってきたもの、いろいろ考えると、
駄菓子屋さんってぴったりだなと思ったのです。
うまい棒とか、チロルチョコ。
特に、コンビニで買い物をした時に、ついついレジで手に取ってしまうもの。
チロルチョコなのですね。
何十年も残るモノ。
庶民的で。
気軽に手に入れられる。
誰でも知っているヒット作。
(でも、松尾製菓は知らないって、調べたら、チロルチョコ株式会社になりましたが。)
(でも、松尾製菓は知らないって、調べたら、チロルチョコ株式会社になりましたが。)
ボクが企画を考えるときっていうのは、わりと一瞬で閃くわけですが、
生活の中で、休日とか平日の概念は無くて、ずっと何かを考えている。
考えることが苦痛でもあり、快楽でもあって
先述のように、わかりやすいことを、難しく考えたり、
難しいことを、別な次元のものに例えたり、
自分に正直になったり、耐えてみたり。
そのような感じです。
で、ぽろっと、企画が思いつく。
専門とか、マニアックなものよりも、
駄菓子のように、誰もが手に届くようなものだと嬉しいのです。
また、先鋭的なことだとしても、それを隠すぐらい、カッコ悪い方が面白い。
というわけで、ボクの会社は売り上げが、好調だったのだけれど、
好きなコトをやっているか?
とか、自分の会社、つまり自分の名前が出ているかどうか、が重要で
自分がやったことは、生きた証なわけで、それが出ていないのが不満だった。
クリエイティブなことをやらないと、脳みそが退化している感じもするのです。
なので、蓄えてきたものを放出して、
昨年夏ぐらいから、好きなコトを再び少しずつやるようになりました。
ボクは、多くの人が反対しても、売り上げだとか、数字を見せることによって
イキナリ言うことを180°変えたり、後付けで理論づけしちゃう人をを沢山みてきたので、
割と自分の直感を信じるのですが、
ただ、残念なのは、文部省の偏差値教育を受けてきたので、
成績表が悪いと、気になって仕方がない。
もちろん、チャレンジをした方が、結果が出ると、後押しをしてくれる人にも支えられているのですが。
ということで、駄菓子のように、たくさん生み出して、また取り戻す作業をしています。
そこで、古参なゲームクリエイターが、みんなソーシャルゲームを批判するので、
頭にきて、ソーシャルゲームを作ってみた。
ボクは、全否定するのは嫌いで、大衆に受け入れられるということは、
それなりに原因がある。
むしろ、大衆に、
自分と同等の知的さ、情報量を求めすぎている高度化したゲームに飽き飽きしていたこともある。
ということで、ボクのテイストを入れて作ってみた。
テガキモンスター。
今後も、沢山作って行くと思う。
また、ボクは、アマチュア無線の経験が忘れられなくて、
もともとアマチュア無線のために、小高い山の上に住んでいるのもあるのですが、
人と、言葉でコミュニケーションをすること、チャンネルを変えること
”一期一会”に絞り込んで、VoIPのアプリに注力してみた。
それが、POMPAやら斉藤さんなんだけれども、いたずら心で作ったものが、
かなりブレークしてしまった。
さらに、ボクの頭の中にあるさらなる悪戯がありまして、ちょっとどうしようか悩んではいます。
ここまで流行ると、ボクの力で、一気にサービス終了してみたくなったりもします。
そして、最近専門化してきた、音楽アプリみたいに、マニアックなモノではなくて、
音楽をもっともっと、全世界の人が生で、そして
沢山の人が、一緒に遊べることができないかなと、研究をしています。
研究機関が必至になってやっていることを、ゲーム感覚で気軽にやってしまおうと考えています。
これは、もうちょっと進んだら発表します。
あと、悪戯もよいのだけれど、何か狙いすぎているのも嫌なので、
何かボクラの技術を応用して
何かボクラの技術を応用して
ニッチかつ、自分の経験に基づいて、手に取るように作れないか。
そう考えたら、吃音を思い出した。
今でも、結婚式のスピーチでは緊張して吃音になったり、吃音の人と話すとつられてしまうのですが、
子供の頃、吃音症(どもり)で相当悩んでいたわけです。
で、説明すると長くなるので、割愛しますが、有名な方法を使うと
一時的に解決する方法があって、アプリ化すると。
iPhoneで特殊な装置を使わなくても、マイクヘッドフォンでできる。
海外アプリでもあるのですが、使い勝手が悪い。なので、作ってしまいました。
まだ、デザインは入ってない状態ですが、、
最後に、iPodLibraryのサウンドで、Chopped and Screwedするアプリも開発してチューニングしています。
これは、リリースされたら発表しますけれども、とても面白いです。
これこそ、音響メーカーがやるべきことだと思ってます。
これこそ、音響メーカーがやるべきことだと思ってます。
というわけで、駄菓子のように、誰もが気軽に楽しめるものを。
それが、数万人じゃボ、満足いかなくて、数百万レベル、数千万レベルへ。
昔作った、音ゲーのように、流行を生み出すぐらいなものを沢山考えていこうと、思っています。って大変なことなんですけれども。