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著書「これでiPhoneアプリが1000万本売れた

では、iPhoneのクリエイティブに関する内容だったので、あまり触れなかったのですが、企画を考えたり、モノごとを進める上でのボクの思考についてまとめてみたいと思います。

ボクは、目標を高くして、それを達成するたびに面白くなって次々とエスカレートしていきます。
それは、快楽というかドーパミンが分泌されるということなのでしょうけれど、子供の時から、何か小さなことを達成していくと、成功体験が出来るわけなのです。

成功体験をするためには、目標を設定しなければいけないんでしょうけれど、いきなり高くする必要は無いわけです。高くすると、失敗の可能性が大きくなります。
むしろ、小さい段階的な目標設定をして、1Step…2Stepと進めていけば良いと思います。

良い高校に入りたいとか、良い会社に入社したいとか、ヒット作を出したいとか、そういう身近な目標設定をする癖を付けます。
そして、それが達成されると、

『うれしい』
けれども、
『このままでよいのだろうか?』
という疑問を自分に投げかけています。

なので、ボクの場合成功したり、うまくいくと、その時点で『終わってしまった』こととなり次のチャレンジへと向かいます。

ボクは、この本のあとがきで、新しいことを生み出すことばかり考えていたけれど、iPhoneアプリも、数年、数十年も継続して、多くのヒトがブランドとして知るような、継続性を課題にしました。

それが、みなさんもご存知の通り、PianoManという数年前に作ったアプリが、再びトップランキングに入りました。
このアプリは、トップランキングに入らなくても、かなり継続的にヒットしているアプリなのですが、日々の積み重ねによって、もの凄い上位にあがって、ボクの課題がある程度達成されたわけです。
とても嬉しいです。

これは、ボクの本出版されたこととは関係がなくて、日々の行動の積み重ねであるものと思っています。

でも、次の目標が出来てしまうんですけど、、、
成功にしがみつくよりも、新しい可能性を探って、自分の多様性を信じたいんですよね。多分。

■本を書いて分かったこと。
本当に偶然なのですが、幾つか本を執筆する機会がありました。

毎日、朝まで仕事で大丈夫?とか
生活リズムが狂っていないか?
って心配されましたけれど、執筆することが快楽なのです。

会社の業務は11:00-20:00まで。
20:00-帰宅するまでは、企画をカンガエルたり飲んだりして遊ぶ時間。
24:00-4:00までは、執筆。

快楽が伴えば、仕事の過労ってことはないんだと、

なぜ面白いのかって?
これは何かというと、文章を書くことによって、自分の思考が整理されるということと、日々のイロイロな事象がメタ化して認知している自分に気がついたのです。

メタ認知とは、『認知しているということを認知する』ことです。
日々、漠然と思うこと、
なんか良い感じ
とか、
嫌だな
って思うことに、沢山気がつくことなのです。これは、企画を考える上でもトリガーになります。

この、メタ認知に気がついたのは、
断ってしまったのですが、『アスペルガー症候群』についての本を依頼されたことでわかりました。

アスペルガー症候群については、ボクは非常にその傾向が強いものの、4点ありました。
・健常者とのボーダーラインが分からない。
・アスペルガー症候群、ADHD、発達障害があまりにもゴシップ的で、瞬間的な話題になりそう。
・アスペルガー症候群の場合、自ら分析するヒトが多すぎて、ネットに情報が氾濫している。本当はまだ分からないことが多いし、本を書く必然性が分からない。
・そもそも、自分の人生なので、普通のヒトとの違いや考え方が分からない。
逆に、アスペルガーだからって本に書いてるヒトは、健常者との比較を客観的に分析できる能力があるわけで、大きな嘘だと思う。

でも、このテーマがトリガーになったのですが、
自分自身の認知を言語化(メタ認知)することで、もの凄い整理が出来るようになったわけなのです。

数年ぶりにIQも検査したのですが、ボクが思っていたよりもIQが高くて、チャレンジを沢山できるかなと思いました。
IQはそんなに変化しないと思うんですけれど、何故か滅茶苦茶上がっているんですよね。

学べることも多くてですね、文章を書くというのは日本語能力な訳ですが、
校正が面白くて、様々なコトが分かるわけです。

例えば、高度経済成長期って、用語を使ったのですが、ボクは80年代に育ったのでその時期って誤解をしていたのですが、これは、教科書で習ったのを思い出すと、、、池田勇人の時期から、70年代ぐらいまでなんですよね。

ボクが思い込んでいた、イロイロなことが間違っていたり、日本語の使い方の間違いとか、結構細かいなと気がついたのです。

■良いな、嫌だなってことを整理するコト。
メタ化というのは面白くて、人生を多く経験すると、
思考ルーチンに、検索タグがついたように、何も考えずに理解したつもりになります。

ボクは、『面白い』『嫌だな』と思うことを、会社で周りの人に提言したり、Twitter、ブログにつぶやいたりします。

そうすることで、
・自分で何故なのか考えられる。
・周りのヒトがヒントをくれたり、アドバイスを貰えたりできる。

例えば、休みの日に、AKB48の選挙の件がもの凄く嫌だなって思ったわけです。
演出のフィルターがかかっているとはいえ、人格を評価するっていうのは、
学校のクラスがあったとして、渡辺君が好きなひと何人、吉田さんが好きなひと何人
ってことなわけで。それが公になるわけでしょう。

グループの中の個を応援するという、前向きな動機がある
一方で、
実社会のような、競争原理を彼女達に与えることに対してファンは疑問を感じないのかな?
と疑ったわけです。ますます、顔に手が加えられて変わっていってしまうという、、、

■実名か匿名か
日本はネットについては匿名の文化がある。
Facebookは、流行らないのではないか?
って言われています。民族性?文化?

ソーシャルについて考えるのに、あまりにも、表層的だなと思います。

もっと深く考えると、メタ化の集約、蓄積が生きるためのヒントになっていくから
ソーシャルって、実名になっていくと思います。

具合的には、
南雲ってヒトは、○×という事象について、述べている。
上記AKB48の考えがあるとします。(まあ、どうでも良いことなのですが、、)
これについて、より多くのヒト、ソーシャルがヒントやら考え方を示してくれます。
ボクは、Twitterについては、多くのヒトにフォローしてもらえているので、沢山の英知が集約できるのです。
困った時や、考えについて、たくさんのヒトに意見が貰えます。

結論はいらない、
『営団地下鉄の駅名は奇数ばかりで、偶数が無い』と発言すると、もっと面白い情報を頂いたりします。

もちろん、逆に自分の考えを述べることもあります。

なので、ソーシャルは、オープンもありだなと思います。
(Facebookについては、過激な発言もあるので、ボクの場合限定していますけど。そういう使い方もあり。)

その際に、よくわからないヒト(匿名)なヒトだったら、応報もないし、不安ですよね。
でも、知ってるヒトだと、
日頃のコミュニケーションのように、楽しんだり怒ったりできるわけです。

南雲ってヒトがいて、仕事はこういうことをしていて、経歴がこうで、
とか、多くのヒトが、ボクについてメタ化したイメージや、信頼、
もしくは、アホとか思われているかもしれませんが、

そういった、信頼で、意見を頂いたりするんだなと思います。

ボクのソーシャルの活用法は、若干特殊ではありますが、
世の中が高度化、複雑化していく中で、
多くのヒトにとっても、ソーシャルが
・沢山の英知が集まることが如何に良いのか
・助けられるのか
分かってくるのではないかと思います。

と、まあ日頃からイロイロ考えているわけですが、これが何か企画のヒントになったりします。

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