3.11の震災以降なんですけれど、Twitterやネット、リアルでも意識的にその話題に触れないようにしていました。
ボクは、情報被爆って言ってるのですが、
・誰もが専門家ってワケではないので、騒ぎ立てて不安を煽るだけだ。
政府や東電の情報を不審に思っているなか、
世間話的に口外して議論したところで仕方がない、と思っています。
まずは、右往左往しないで、
自分が出来ること、するべきことに最大限のパフォーマンスを出した方が良い。
ボクであれば、関わる組織や共同体を守ることで、具体的には会社の経営がしっかりして、将来が想像出来れば、みんなも安心できる。
経済活動が出来れば、大きく社会に寄与することができるわけで、お荷物にならないように頑張らないといけない。
会社をやってみて、よくわかったのですが、
明日、明後日のご飯が食べられるようになると、1ヶ月後が心配になる。
1ヶ月後が安心だと、半年後が心配になる。
ヒトって、そんなモノだと思うのです。
なんとか不確実な地球上の環境を、人類の英知がフォローして、毎日ご飯が食べれるようになったと。
なので、不確実は将来は覚悟しながら、直近、半年、数年後、10年後を
ボクの場合、80歳(少なくとも、リニアモーターカーには乗りたいです。)は目指したいのですが、死ぬまでに何を経験して、死ぬ瞬間に
「あれと、これと・・・・」と沢山残したな、と思いたいのです。
多分、多くのヒトは、今自分がいる時を中心にして、先を考えると思うのですけれど、そうじゃなくて、死ぬ時から今の自分まで、逆に考えていくと良いと思います。
ボクは、そう考えています。
結構やってみたいことは沢山ありまして、全て実現をしたいんですけれど。
意外と時間が足りないのかもしれません。
これを、もうちょっと個人から社会や国家へと拡張して考えるとですね、少なくても自分が死ぬ40年後にどうあるべきか、どうあってほしいか考えないとイケナイと思います。
今まで、あまりにも考えてなかったわけです。
個人的に思う正直なことなんですけれど、
東京電力とか、政府とか、与党、総理大臣とか
社会の不安のはけ口をもの凄くぶつけているなと思うんです。
でもですね、ボクらが生まれる前、原発を推進していたのは何だったのか?
とか
問題を隠すように、(今でも)情報を公開しなかったり、問題の先送りって
怒りつつも、
身近な実社会でも、何だかよくあることだなと思うのは、我々の思考のフォーマットを決めた日本の戦後教育の弊害なんじゃないかと。
大人になって、社会が分かり、蓋を開けてみたら、この国ひどいなって気がつく訳です。
過去の人たちは、とんでもないことしてくれたな
ボクらにツケを残しやがってバカヤローと。
だから、怒りの矛先は、東電でも今の政府でもないわけです。
過激なことを言うと、国家を転覆させるという意思を持った反政府活動とか、シンパをもって急進的な力で決起しないとダメなんじゃないか、ぐらい思ってます。
我々は戦後教育で思想的に抑えつけられてるんでしょうけど。
自分たちの身を守るために、ガイガーカウンタを買おうと思った時もあったのですが、
放射能値が高いとか、なんかイロイロ騒いで小心者になる気がしまして、やめました。
っと思うことがありまして、実はイロイロやっています。