顔をじっと見て想うこと

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自分の考えにこもってグルグル考えることが多いのですが
3歳ぐらいから、集中しすぎる、
過集中があったと考えています。

おもちゃの「電話」の
単一電池が消耗しただけだと思うのですが、
音が小さくなったことと、親が
どこかでドライバーを使っているのを見て
自分も、同じように分解すれば、治る。
そのように思って、元に戻せなくなる。
必死になって治すけれども、うまくいかない。
数時間たつ。
今でも思い出します。

興味を持ったこと、関心のあることは
夢中になり、
ご飯も、トイレもいかずに
徹底的にやり続ける。
勉強でも、趣味でも、夢中になって遊びました。
それがひどすぎて、親は、鉄道模型を取り上げたこともありました。

大人になってから、
ゲームを作るようになり、数か月、ほぼ家に帰らなくても
何か、個人的に、問題が起きても
緊急な時には、
当時は無意識でしたが、過集中頼みでした。
そして、専門家やプロがいるのに
契約や交渉、意思疎通などの時間を鑑みると
自分が、学んでやった方が早い。
自分がすべてやってしまう。

自分が間違っているのは、
過集中こそ、労働であり
通常時は、自分が、だらけているのではないかということがあります。
自分の普通なモードは、多くの人の普通である。
最近まで気づきませんでした。

多くの過集中の議論について
間違えている個所を指摘します。

だれでも持っていることではない。
過集中の入り口は、緊急の問題解決や楽しさ、夢中になっている。
確かですが
過集中に入ると、単純に脳の処理が爆速で動きだし
”なんでも”よいから、考える材料が必要になるのでは。
と考えています。

本来解決するべき課題から派生して
頭の中にある情報(数十年の記憶とも)と
入ってくる、今現在の情報がリンクして
考えをめぐらす。

わかりやすく言えば、
高速にCPUが動き出し、100%のタスクにするために
小さな問題や、優先度の低い問題が
リンクして、考える。
頭は思考しようとしていて、
メモリーから情報を引き出そうとして止まらない。
この状態と考えています。
数時間の時も、4-5日続くときもあります。
そして、頭の回転というべき、思考は
早く、ノイズも含めた情報だらけになるために
思考を止める試みをして、
さらに思考が止まらないと、最悪です。

この場合
1)チャンスとして、たくさん考え、通常時に忘れていないように
メモをしておく。
2)志向を消費するような、新しい、未経験な刺激的なことをする。
料理を作るとか。
3)本を読む。
ひたすら大量に本を読む。(速読なので、経済的に非効率)

です。
ただ、当然ですが、これを過ぎると、脳は、
虚脱状態になります。

この状態から抜けるためにも、自分は
本を読む とか、人に接しないと考えていたのですが、
自分の世界、理想、こうあるべきだという思考から抜けるためにも

人の気持ちや感情を振り返るためにも
顔をじっと見つめたり、注目したり
することではないかと、気づき始めています。

自分の内面の理想、はもちろんですが、
自分を自覚するために、周りの人、
環境を気にする、愛する。

人の表情に集中すること、感じること。
これなのだ。
自分を取り戻すには。

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この記事を書いた人

管理人です。多趣味です。
沖縄在住です。音楽好きです。ラジオが好きです。

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