偏屈でもバラカンモーニング

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ボクは、毎朝ラジオを、
Peter Barakanのバラカンモーニングを聴いている。
けれども、もうすぐ番組終了してしまうらしい。
とても残念。

最近のヒット曲でも、流行のサウンドでもなくて
Marvine Gayeだとか、Sly and The Family Stoneみたいな
朝から、黒いのですが、なんというか、それでも番組が静かで
ボクの車は、ノロノロ運転で、まったりゆっくり
落ち着いていて、朝からの活力になる。
さらに、ボクは、サウンドから、
作曲的な分析やら、音色など頭に入ってくるわけですが、
ピーターバラカンさんの場合、
歌詞から解釈されているので、ボクは新しい発見の連続。
今まで当たり前に聴いていた楽曲が
違う聴き方になるのですね。

ラジオは大好きなので,
FMはよく聴きます。

最近は、DJの方が勝手に四分打ちにして90年代のような(古くさい)
ノンストップミックスだとか、
サウンドいじることが当たり前になって、
ガチャガチャしていて、嫌だなってことが多々あります。

FMラジオの持つ、静かでゆったりしていること、
ラジオ局のセンスや方向性から生まれる、番組。
局それぞれの個性って、面白いなって感じるのですが、
歳なのか、しずかな番組が良いなって思います。

だから、ボクの立場上、
ラジオ聴いていて、カタカナ言葉でベンチャーだとか、起業だとか
エコとか、ロハスって、知的消費エコのような
そういうのも嫌らしいとか思う。
聴いていてはきそうになるなぁ。

唯一、朝の番組は、気が抜けているのか、
個性的なのか
どこのFM局も、個性やぬくもりが合っていいなって思います。

その中でも、InterFMは、
反商業主義というべきか、スポンサーなり、局が困ってしまうのか、
アーティストが、自分本位な言葉、
サウンドを伝えていいる気がして
そして、参加していて
静かな中でも熱さを感じます。
バラカンモーニングは、
多分、ギターリストの渡辺香津美さん(だと思いますが)
も一般投稿されていて、よく耳にします。
一方向ですけれども、SNSのようなホットさがあります。

最近のFM局のような、
頑張らないといけないような
忙しさ、激しさがなくて、好きな音楽を、自分の言葉で語り
淡々と続く。

ボクのFMラジオとの関係は、
1984年ぐらいですから、30年前。
NHK-FMのサウンドストリートを聴いていて
いろいろな音楽を知ることとなり、
小学生なのに、XTCやらハワードジョーンズとか
ニューウェーブ系のアーティストを知って
佐野元春さんや、教授のラジオを欠かさずエアチェックをした。

視聴率も意識(をしそうもないけれども)することもなく、
涼しく語るアーティストってカッコいいなって思った。

ピーターバラカンさんは、偏屈って(自分のことを)
いいますけれども、
偏屈こそ、魅力的でもあり、本当な自分を知っているんだと。
ボクの先生も、偏屈者宣言と伝えていますけれども、
この世の中、偏屈であることがいかに大変か。
けれども、おじさんたちは、
偏屈で嫌われても、
何しても、その人なりの本当の気持ちを伝えることが
とても重要かと思う。

ボクは、あまりイロイロな人に合わないようにしていて
合ったとしても、
考えていることをそのまま伝えるように心がけている。
だから、空気を読めないけれども、
場の空気をおかしくしても、
何かピンチや問題の際、攻める時には声がかかる。

持っているものに自信があれば
それで、一瞬目の前の様々な小さなことを失っても
絶対にもっと大きくて、絞り込んだモノがくるなと。

だから、偏屈者であるということは、
多様性や柔軟性、瞬間的な合理性、経済性への否定であり、
空気を読まないことであり
けれども、特化することで、品質を維持出来る。

ボクは、どうも消費型な音楽に疑問を感じていて
ピーターバラカンさんの説明を聞いていると
そのサウンドの根深さ、サウンドそのものじゃなくて
アーティストの背景を言語的に考えられるのですね。

耳障りが良い、だけではなくて、考える面白さなのでしょうか。

番組が無くなるのは、本当に残念ですが、
ピーターバラカンさんのイベントは、参加して行こうと思っています。

ちなみに、教授のPerspectiveの歌詞は、ピーターバラカンさん。
ボクの生活は、そのものです。

May’be that’s their way of life.

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この記事を書いた人

管理人です。多趣味です。
沖縄在住です。音楽好きです。ラジオが好きです。

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