クリエイティビティっていうのは
説明が難しくて、
ボクの、頭の中は超理屈だらけというか、
脳が、理屈がないと記憶できない、意味づけをして記憶する
という、面倒な仕組みなので、
仕方ないと思いつつ、
だからこそ、実は客観視していることと、
幸い、音楽を作ってきたから
感覚というのも持っていて、常に鍛えてはいる。
最近、Kickstarterを、もっと、提案メモレベルで
斬新で、面白いアイデアや創造を具現化できる
個人レベルの商品化サイトが増えているように思う。
アイデアを公開して、このサイトの事業者が
商品化してくれる。
https://www.quirky.com/
見ていて、本当に面白い。
右うえの、Laser Field Gameをみてみると、
面白い。
すべてが世の中を変えるものではないけれども、
金の卵だらけ。
Think Differentなのだ。
だから、おじさんたちが特許だとか
紛争している間に、公開こそステータスばかりに
ガンガンアイデアが集まっている。
このサービスは、日本のテック系に
あまり紹介されていなくて、
けれども、北米も、ヨーロッパだって、このような
アイデアにあふれている。
ギークなサイトや個人にあふれていて、
情報をキュレーション受けるのではなくて、
自分で見つけるべきだとも思うんですけれどもね。
ここも面白い。
ThinkGeek
最近、開発や企画立案の際に、理屈を言ったら
半分冗談で『ぶん殴る』ってことにした。
作りたい思いが強かったり、よくわからないけれども
踏み出そうってことが重要ってことで、
中途半端に、頭良い人が間違えやすいことを
正そうと考えたわけです。
想いを冷めないうちにすぐに作って
実際見て、使っている人の反応を見る。
ボクは、意外にも任侠映画が好きで
少々そのような環境だったことも
あるかもしれないのだけれども
北野映画も、鶴田浩二だとか好きで、
NoReasonで
徹底的に善悪を貫く狂気はあこがれるところがある。
信念というか貫くには、
暴力的にも取れる、枠や範囲を決めないといけないのかもと思いまして
半分冗談、半分本気ということで
グダグダ半端に考えて、何も生まれない、
進まないのであれば、間違えた方が、
間違えたという経験ができる方が、重要。
経験を踏めば
少々考えれば出てくる、当たり前な理論は無意識で持っていて
たとえば、ターゲットに合致するのか?
とか、その対象がどのように使うのか?
机上で分析したり、
リサーチの結果をみたり、分かったかのように考えることは
とても危険で、特に僕の会社のような、
たくさんのユーザーを対象にする場合は、
少ない会社員が、
少々小賢い程度では、そりゃ無理だ。
分析をする対象と、分析する側の環境に依存するし、
経営であれば、マーケティングでもあり、
人文的な解釈でいえば、
人間そのものの単独での心理と
帰属する集団での心理は全く異なり、
そういう点では、社会心理学でもあり、
社会学でもあるわけです。
たとえば、
家族や企業、学校など、帰属する意識がある、
コミュニティが明確になったうえでの
購買行動と
その人個人での購買行動は違う。
会社の中では、Aが欲しいけれども、
個人と認識する空間になったとたんに、真逆になるかもしれない。
季節、天候や社会情勢で変わるかもしれない。
普通の人は、
本音や本当に対する自己一貫性がない。
その普通の人がたくさん集まったとするのであれば、
相当環境要因や変動を意識したうえで、
リサーチと分析をすることになる。
ということで、
僕が納得できるように、マーケティングから
社会学、さらに、生物学、
情報の最適化でいうと、量子力学に及ぶまで
最適解を立証できるのであれば、
ぶん殴らないけれども、それができないのであれば、
表層的な、だれでも考えられるような理論や
コンサルっぽいマネごとに
納得や、何かをすがることはやめなさいとしている。
成功するには、
普通の、もしくは少々頭がいい人が
合議制で時間をかけて確度が高まるとも思わない。
むしろ、その思考のプロセスすら辞めてしまい
ソーシャルに任せるほうが、頭がよいはずだ。
ゲームも、ITも、昔から
中途半端に、
クリエイターやアーティストという表現をするわりには
月給制の会社員でもあり、
作品なのか、商業的なサービスなのか明確になっていない。
衣食住に必要な物でも、
豊かさだとか、デザインとか
合理的、機能主義だけではない、
その物を中心とした生活を訴求しているし
合理的に追及を行えば、量販店で値段は安くなり
さらに、新興国に必ず負ける。
多くの人が共感する、
必要ではないかもしれない
けれども、感情に訴えるものというのは、
無駄であったり、必要な機能が足りないけれども、
どこかバカバカしかったり
モノや見えないサービスでありながら、
作り手のスタイルがあるわけです。
アプリだって、UXUIだけじゃなくて、
色も、ことばも、見せ方も
キャッチコピーも、おもてなし。
忌野清志郎も、ストーンズも、マドンナも
彼らの声やサウンド、プロモート、さらに身長から
体重、食生活、両親すべて、必ず原因やヒットした理由はある(と思う。)
けれども、
クインシージョーンズに、
「あなたは、
プロデューサーとして音楽ビジネスとしても成功されていますけれども、なぜですか?」
って聞いたら、インタビュアーを
彼はぶん殴わけで
お前、分析するのであれば、
なぜ、私たちは、音を求めるのか。
マイナー調が暗くて、メジャー調が明るいと感じるのか。
そういった、音の波形のつながりや混ざりあい
なんて考えると、
徹底的に地球や宇宙の起源までさかのぼり
なぜ生物が存在するのか、
この世の中に、時間や空気が存在するのか。
時間という概念やモノを実証するのは何か?
ってことになり、
論破せよって言います。(たぶん)
何を作るのかとか、その気持ち、想いは何か。
衝動とは何か、ってことで、
動物的なハラワタというか、衝動性であり
人間は動物の中で、唯一理性を持ち、
自覚できるのだけれども、
いつもオブラートに包んでしまっている、
本当の気持ち
だと思います。
ITでも、ゲームでも、その衝動性こそ
多くのファンに共感してもらうことでして、
使っている人に、
経済合理性や効率性
さらに、広告のクリックだとか、DAU向上の施策がみえてしまったら
分析の結果、なんて言ったら
一気に
イケていないと思う。
ネットで最適化された情報が見れる
そして、常に情報に依存しないと自己を確立できないような
浅い根拠でもないといけない
そんな時代なのかなとも考えている。
なので、
僕はトレーニングとして、
職場の環境を演出することにした。
でも、本当は創造性というのは、豚小屋でもどこでも維持できて
作業着を着ていてでも、タイムカードを押してでも
どうでもよくて
強固なものだと思うのだけれども、
クリエイティブを周りから与えないといけないのだと
最近思って、ものすごい投資を行っている。
やはり、そういう表層的な世界の縛られた思考で育まれた
普通の人というのは、
世界を作らないとだめなのだとも思った。
今、半分、みなとみらいに移転していて
みなとみらいが一望できるところにして
ランチを食べれるようにする。
とか。
大人のピタゴラスイッチというのか、
シンプルな真空管アンプですが、AirPlayに対応していて
ネットワークに接続するスマホやPCから
リモートできて、電源ON/OFFやボリューム制御できる。
右側もネット制御のテーブルタップでして
スマホの充電が90%になると、充電器をOFF
残量が10%を切ると、充電器をON
とか。
高層階から2Fの事務所まで、ヘリコプターで運搬をするとか。
なにか、作ってみたいとか
衝動やその人の特技、能力を引き出すことが一番重要で
たとえ、求められる人が少なくても
一部の人が強烈に刺されば、
また、気づかせれば、拡大するのだと。
キックスターターはもちろんだけれども。
Quickeryのように、
クラフトであり、ワクワクさんや、ノッポさんを
見て育って、ハサミやノリで牛乳パックを工作したり、
粘土遊びのように、とにかく
何か作ってみる。
日本でいうならば、情操教育というのか
文化的な豊かさが、僕の世代も含めて
足りなかったのかなとも思う。
けれども、今の日本であれば、
クリエイターというのはだれでもよくて、
ニコ動や斉藤さんの人のように、
自分の声で、多くの人をファンにすることも
同人のサウンドを作ることも
プロではなくても、何か熱さや強さ、繊細さがあり
アーティストに思う。
プロなのに、給料もらっている人が
いかに、社会の枠に入れられて、
頭が固くなり、
そのことにも気が付かなくて
思考もすべてが毒されているのか。
あ、ぶん殴ることではなくて。
事業というシステムなサービスではなく、
表現や作品と思うことを、貫きたいと考えているのですね。