豊かさを感じること

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ボクのヒーローというのか、大好きな教授
病気とのニュース。

けれども、twitterやFacebookをみると、
ソーシャルメディアという集団心理
というのか、日本人の同調性は恐ろしいと痛感した。

誰もが悪意もなく、論じること、伝えること
RTすることへの疑問は先のブログのとおり。

距離の遠い人のように、無責任に論じて、拡散し
この方は職人としても、
伝播というか、拡散されて、どうなんだろう。

集団の心理が、日本人であり
責任の所在がどこにもない、
おかしなことになっていると感じています。
一人一人には、何も罪はない。
責任はない=無責任。

でも、
原子力に関すること、喫煙になど過去の発言と

今回の病気は、まったく別なことなのに、
身近で、大事な人が病気になったら、そう発言できないのに。
それを論じることの目的も
論破することも無意味である。

知の共有が、本当に人々を幸せにするのであろうか。
ボクも醜いけど、怒っているブログ

かつての物質至上主義で考えれば、
昭和の時代、急激な経済成長が、モノを増やし、
公害を助長したように、
人と人のつながり、ITによる情報の拡散
そして、強い言葉だけの集約化が
排他主義であり、あふれる情報により、人が人を醜く
そして、豊かではない、冷たい社会に置かれたような
イメージがある。
数十年後に、あの時期は、情報で荒んでいた
なんていわれると思う。

ボクは、カッコよく言えば、
誰よりも早く、Facebookをはじめて、
Facebookを辞めたけれども。

毎日生活を楽しんでいる人
会社のために必死にPRする人、
面白いことをしている人、大変な目にあった人
子供を大切にしている人
侍のように、働いている人。
生な情報は、影響を受けて、同調したり、いいねとか、応援したり
している。
特に、クリエイターの方の視点はおもしろい。

けれども、その人自身は否定しないのですが
ボクにとっては、どうでもよかったり、
くだらない とか、暗くなるような
悲観的な情報ばかり集まると、嫌なことになる。
だから、
周囲の、クリエイターや楽しい人に限定して
面倒になって
ついにFacebookは辞めた。
そして、新しいソーシャルやら考えている。

ボクは、整理整頓はできないのだけれども、
机の周りをきれいにすることだったり、
家の壁紙の色にこだわったり、
面白い本を読んだり、
毎日、通勤の経路を変えたり、
スポーツクラブに通ったり、
新しい音楽を聴いたり。

少しでも、見えるものや受け取るもの
感じることがよければ、
新しい物事の考えがひらめいたり
気づきが起こる。

ブランドの服を着ていても
見た目は、美しくても、
醜い見え方がする人がいて
さらに、自分が醜いときは何でだろうって思う。
そして、気がつく。

多くの人々は、急いで、考えるそのことを
忘れてしまう。
今ある時間は、その一瞬でしかない。
くだらない、つぶやきに費やす時間が如何に無駄か。
そして、どういう情報によって、
たくさんの人が楽しく、面白くなるのか。
じっくり考えてみる。

ここ数年、体調は悪かったりするのですが、
うまく行っているなってことは、
環境づくりだったりする。
良い人、良い場所には、良いことが起こる。

ということで、
PeterBarakanの作詞、教授の
Perspective

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この記事を書いた人

管理人です。多趣味です。
沖縄在住です。音楽好きです。ラジオが好きです。

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