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「24時間働くことを美徳」
とするような、経営者の発言って問題になる。
一方で、
「日々音楽を考えています」
とか、
スポーツのフォームを整えるために、
24時間の生活を整え、毎日同じご飯を食べている、って言うと
すごいですねって、尊敬される。
個人だから。
でも、普通の人はそんな会社で働きたくないし、
そんな人のマネージャーになるのは嫌だと、

経営者の人は
その事業や内容が大好きで、長い間休みなしで働いても
趣味のように、本気で集中できるのだと察する。社長さん向きだ。
アーティスト、スポーツ選手、と呼ばれる人も
作品について、悩み、喜び、苦しむ
それ自体がその人で、
結局、少数派の経営者もアーティストも一緒なのだ。

最近どうも、
「集中」と「こだわり」で結果を残す人というのは、
少数派の種族ではないかと。
ボクは、偏っている知能を疑い、
コンプレックスに思っていたけれども
活用しなきゃもったいないぐらいに思った。

特異性は普通の人(=多数派)は違うということ、
強いてもいけない。
理解しないといけないって
かなり指導を受けた。
だから、じっくり考えるようになった。

さらに、多数派が努力をして手にする、
憧れのような、
狭い門の特殊な職業は、少数派にとって、向いてさえいれば
あまり苦労をしていないのではないか
と考えている。

思い出せば、就職も、当時は大学いかなかったのに、
数社受けただけで、好きな業種に就くことができた。
一般的な就職活動や転職活動もせずに、
紹介だったり、何かしらどうにでもなった。
普通の仕事やバイトはすぐに辞める
続かなかった、というかできなかったけれども、
一生懸命やっているつもりでも、評価されなくて
一生懸命やらなくなった。
うまくいかないものは、根性論でがんばっても
うまくいったことがあまりない。
がんばらなくて良かった。

好きな仕事は、楽しさが上回って、
苦労をした自覚がないのかもしれない。
その反面、音楽でご飯を食べていたのに、
興味がなくなったって思って、
あまり考えずあっさりと辞めた。
たぶん、考えられないと思う。普通の人は。

ミュージシャンやアーティストと話をすると、
懐かしい昔話、美談や、
縁や偶然で手にしたってこともあるけれども、
実は、何度もチャンスがあって
本人以上に周りの評価が高い
技術は未熟でも、誰もが思いつかない視点の作品だったり
センセーショナルでデビューは斬新だったりする。
時代で新しかった、とか
イっちゃってるとか。
けれども、がんばるけれども、
それ以外はふしだらだったり
普通なことに対する適応能力はエラく低い。
(気がする。すみません)

働くことに関して、自分を分析をすると
・マイナスからゼロに持っていくことは
とても苦労をする。
たとえば、
音楽から企画や経営に転向して大学に行った時期
赤字から黒字に持っていく
この時期は共通して、
本をやたら読むので、経費を調べると新聞図書費が伸びていると思う。
知能が低い部分を延ばすには、相当学ばないとついていけない。
リストラとか、育成、コミュニケーションやら人間的な作業だったりする。
パフォーマンスが低いので、労力に対して結果が出にくいので
誰がなんと言っても、
無駄で、やるべきではないのだ。

また、「副社長」を用意すれば、なんていわれて、
最近わかったのは
組織を作ったり、規模が大きくなるのは
名前も覚えなくちゃいけないし、人間関係も複雑で
想像しただけでゲロを吐きそうだ
けれども、そんなこと僕がやらなくても良いのだ。
自分の欠点に気がついた強みかもしれない。

逆に、企画を考えたり、音楽を作ることに関しては
悩まないし、俊足で答えは出る。
歳は取っても、劣化したとは自分は思わない。
それは、何しろ楽しいし、結果は出ているし
考える前に、考えているからなのだ。

多数派の忍耐や根性論を捨てて
「楽をしてパフォーマンスを出す」
「嫌なことはやらない。」を考えれば、
すべての答えが出るのかもしれない。

ポジティブな意見として
「誰もががんばれば、夢は実現する」
ってあるけれども、
僕は疑っていて
得意不得意を早くわかったほうが良い。
不得意なことが生活の大半の占めるのであれば、
苦労続きな仕事であるならば、
向かないと自覚した段階で
ストレスがかかるし、
人生で無駄な時間を消費するので、早くわかったほうが良いと考えている。

ボクは、強みと弱みを理解して、
無駄な時間を使ったことを後悔した。
だからこそ、同じような
将来を悩む子供たちや学生に向かって伝えたいと
自然に思ってきた。

もし、知能に偏りがあるということは、
知能全体の平均値が低くても、高くても、
偏差が大きいということになり、
できることに対する、喜びや前向きさは、多数派以上。
逆に、できないことに対する、後ろ向きな気持ちも、多数派以上。
とこれは前向きに。
ますます、得意を伸ばした教育を提供して
だめなことは、
得意なことでカバーするようなプログラムがあると考えている。

職業選択の自由。一応、なんでも選ぶことはできる。

サービスのIT化によって、市民は基本的に情報が均等に収集できるので、
できる、選べる、考える種目も増えた。
専門職も内容が広がり、仕事で求められる能力の幅が広くなった。
何でも対応できることが求められる。

学校にいると、何でも選べるような
自由な世の中に見えることもあるし
それは表面上で、実は窮屈に見えることができる。

ボクが考えるのは
小学生でも、中学生でも、興味あることは
徹底してチャレンジしたり、調査してみて
一生お付き合いができる生活スタイルなのか、
職業を早く見つけることじゃないかと。

好き過ぎて、限界点を超えたら、天職じゃないのかなと思う。
好きなことと仕事は違うというのは多数派の意見だ。
一緒のほうが楽しいに違いない。
もし少数派であるならば、
喜びを感じられる職業の可能性は大きい
って言いたいな。

自分が好きなこと、表現をして経済活動することで
かつての小学生のころのボクみたいな子供に、
希望が与えられるのでは、
と、おせっかいに思っている。

知能テストのような、偏差のように
アップダウンが激しい、ハイリスクハイリターンなのだけれども、
+-は0なのです。