毎日、毎日、会社から家まで10キロ歩いて帰りまして。
横浜駅西口から、桜木町や伊勢佐木町を通ります。
ボクは、ハマると、ずっとハマる性格でして
5ヶ月やっていたら500キロ歩きました。
足はそこそこ細くなり、太ももは引き締まり、お腹は割れ出し、
少々撫な肩も、角張りまして、身長173cm体重58キロまで落ちました。
体重計に乗るとクセになるので、一ヶ月に一回乗る。
計ったら、ちょっと落ちすぎて、顔がこけてきましたので、沢山食べることにもしています。
なぜ、こんなに継続したかというと、沢山理由はあるのですが、
結局、お金さえあれば、何でもご飯が食べられて、不自由が出来ない。
TV-CMで、数分ごとにアルコールのCMが流れる。
お菓子も、なんでも、安い。
牛丼も安い。マクドナルドも安い。
だから、欲望のままに食べちゃう。
健康と言うことも大事ですが、何か、自分の目先の欲求を満たさず、
キチンと体にインプットするものを考えようとか、
あと、お金もためようとか。
毎日、車代やら、電車代がたまります。
それで、好きなものを買うとか、目標を立てたりしている。
最近は、週末とかお酒を飲むとおいしい。
何故ならば、いつも飲まないから。
分かりやすい。
また、歩くたびにフラッシュバックするのが、
横浜駅西口から、桜木町。
今月で40歳ですから、37年前。平沼商店街で育ったらしいのですが、
平沼の大踏切は、相鉄やJRがひっきりなしに
開かないのを楽しんでいたのを、不思議と思い出すのです。
でも、当時のボクの身長だと、
車両の台車しか見えなくて、
後に、165系の台車はDT32とか覚えちゃうのでした。
映画ですと、Always三丁目の夕日の10年後。
今考えてみれば、第二次世界大戦から30年しか経っていない
昭和40年代ですよね。
僕が住んでいたところは、昭和50年代にマンションになり、
最寄りの高島町駅も無くなりました。
銭湯もなくなり、当時のままなのは、エビ天の角平だけです。
さらに、昭和59年からは、日能研という進学塾に通い出しました。
確か、シンセサイザーを触ったヤマハは、
天理ビルから、岡野町の交差点に移り、DX7やDX9とかいじって。
ALIC日進で、ラジコンやパソコンを覚えて。
毎日、塾が始まる前に、
旧東急ハンズから、平沼高校方面に抜けるオフィスビルの1Fになる
お店に通って、PC-100やら、Apple2のマウスに驚き、
勝手に、BASICのプログラムを入力していまして、
そのうち店員さんと仲良くなって、データをカセットテープに保存してもらったこともありました。
なつかしい。
小学生でBASICをやっていて、レースゲームとか作っていました。
そして、平成に入ったバブル崩壊の頃、
横浜駅東口に行くと、代々木ゼミナールがありまして、
英語は西谷先生やら青木先生やら習いましたが、ずいぶん最近だなと。
その次は、桜木町〜野毛ですが、
相変わらずストリップ劇場も、映画館もあって、ある意味当時のまま。
みなとみらいも無かった時代に、
6段変則のリトラクタブルライトの自転車で、
大岡川沿いを走っていました。
というわけで、子供の頃から、PC88やらMSXとか、Appleとか、
やりたいことをやって、
考えていた将来の仕事をやっているわけで、
ブツブツ文句言うものの、
ボクが、子供の頃考えていた目標は、まあまあやってきてるなと。
明日は何を話すかなとか、イロイロ考えていると、いつの間に10キロ
歩いているのです。
そんな40歳ですね。