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那覇に向かってから早いもので9年の年月が過ぎた。

隔月で沖縄へ向かっていたが、住まいを借りて、那覇市から、沖縄市、読谷村、与那原と引越しをして、友達もできてきた。コロナによって、沖縄の北端、国頭村に短期移住をした。人間よりも”やんばるくいな”が多い地域で大自然も街も両方経験してきたし、那覇の渋滞を避ける抜け道も割と完璧になってきた。

運営している児童施設も、沖縄市からはじまり、浦添市、那覇市の3施設になる。たくさんのご家族、児童とあうことができて、この地は僕にとって、第二の故郷となった。

かつては、音楽を作り、そのうち、アプリを企画をして、SNSを運営をして、画面の中で何かを作る人だった。今では、毎週面談にくる児童や親御さんにあってお話を聞いている。人と向き合い、楽しいことも、悲しいことも、事件も起こったり、嬉しい話もあり、南国で喜怒哀楽があり、初めてこれは幸せなことだなと、つくづく感じる。

「何か活動をやる」には、仲間が必要で、その仲間が組織になり、会社になっていく。仕事も活動も、とても楽しくて、沖縄の児童施設は、僕の思いを継承してくれる仲間が増えた。

10人を超えると、僕が「何をしたいか?」ではなく、「10 人が100人となって、大きな活動に展開」するために、全体から自分のやるべき立場を考えるようになる。個人的には、手元から離れる悲しい感じもあるし、直接見る児童も減っていく。かつては、送迎車にのって、学校へ向かったり、ご家庭に挨拶をしていた時期もあり、切ない気持ちもある。

沖縄でやっている児童デイドーユーラボは「高知能の発達障害」をテーマにしている。発達障害とすると、何かができないというイメージがあると思う。知能検査でかなり強く出るのだが、できない部分に関連する項目は、平均よりも下がっている。同じように、できる部分の項目も、突出していることが多い。だから、児童と話しながら、検査結果を見ながら、得意な部分を想像して、その子の気持ちを読み取ろうと、話をすることが多い。

このブログを多くの人が読んでいない?として、書いてみると、僕は、「クリエイター」であったり、「ミュージシャン」に多い特性で、先読みや予想が動画のように、頭の中で想像ができてしまう。今までの前例や、ケースを組み合わせて、未来はこうなるであろう察しが、考えなくても湧いてくる。

だから、今更ながらに振り返ると、若い頃に音楽を題材にしたゲームを作ったり、スマートフォン向けのアプリを作ったり、斉藤さんのような、今の時代で言うマッチングや、おひねりと言った要素を10年近く前に思いついたりするのも、先読みの特性が強いことがわかった。

今、自分が一つだけ生き苦しいと思うことも、人の表情や場面を見ると、察しがつくことと、何を考えているのか、など、直感で、相手の心が読み取れているような気もしているのだ。だから、若い頃は、面倒なことを避けるため、直接人に触れ合う仕事よりも、ネットやPCに向けた仕事をしていた気もする。

今、児童や親御さんと触れ合う事業というのは、僕にとって天職ぐらいに思う反面、面倒な自分の気質もわかってきて、思うことが当たるので、悪い未来の実行を変更させるために、今、自分が周囲に対して、どう行動をするかという、「未来の自分の察しから今を推測して行動する」ようにしている。

すると、自分の身の回りや、大切な人のために、僕の面倒な機能を最大化すれば良いと思って、「無駄に世界を広げない」としている。リアルなつながり、知り合いを大切にするために、SNSをやめた。人に伝える必要はないからだ。

僕は、ゲームも、SNSも仕組みを作ることは大好きだけれども、それを使って遊ぶことについては・・・すぐに飽きてしまうのだ。作ることは好きだけれども、遊ぶことは得意ではない。作ることを伝えることは、伝える面倒くささがあるので、伝えなければ良いと思った。

今は、児童支援や人と人のつながりについて研究をしているので、大昔やっていた音楽やゲームの仕事とは異なるし、当時の価値観と今の自分には一貫性がない。だから、身近な友達や仲間、支援をしている子供や当事者の人たちと、大切な時間を過ごそうと思っている。

先日は、ウクライナからの避難民の方を支援するために、ワルシャワやヨーロッパに向かった。

年齢的にも、支援をする人を支援する、として、自分も50代に向かっているなと、思うのだった。