※なかなか、なかなか難しくて僕の割に時間を割いて一部修正しました。
最近、メッセージやメールをみなさんからいただくようになりました。
ゲームのファン。ITの方が多いようです。
心温まるような内容、応援、ありがとうございます。
僕が考え込んでシリアスになるテーマがどうも多いです。
かつてのゲームで遊ばれた方も30代で僕を思い出し、勇気を出してお送り頂いたのかなと察しています。
返事を希望されているものに対して、どのようにするべきか、
お悩みが深いようで、考えています。
いただく内容、はっきりお伝えすると3つの特徴ですから、自分はすぐに
「なるほど」「凸凹」と、よく理解できますし、仲間だなと。
ゴメンなさい、こんなことです。
・長文で、(僕)が理解・感じるであろうの想像が少ないか、その余裕がない
・言語的な伝え方に過剰に信頼をしている場合
・内容の展開や飛躍が多く、伝えたいことがわかりづらい場合
そこで、
たまに、沖縄のやんばる(後藤健治)先生からお教えいただいたこと、
役に立つよう、お伝えします。
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「凸凹」を客観的(自己ツッコミ、メタ認知)に考える。
数値で客観的に見る。
良いところ、補正をするべきところを分析をします。
だれかの動作性(PIQ)です。
凹です。アスペルガーなのか、ADHDなのかわかりません。ただし凸凹に間違いなく。(笑)
自分の抱える問題、
平常時に、平均をとると、12=PIQ=120ということ。
下位分類(構成要素)が、凸凹すぎます。
10を平均とすると、猛烈に高い要素と、低い要素。
凸凹を考えてみます。
絵画配列 17/絵画完成 9/記号探し 16/
・絵画配列
状況を理解し、物事の時間的な「経過・推測」する
・絵画完成
細かいこと、変化に気付いて「対応・適応」する
・記号探し
視覚認知、人の表情を「読み取る」
空気(人の表情から気持ち、予測)を読む、察することは、早い(多分病的)にはやい。
適応・対応させるかがおそい。
感情、表情が出ていなくて、伝えることが弱い。
わかっていても反応しないので、「空気が読めていないこと。」となる。
自分が、(そのわりに)
人と人があつまる集団や、情報が第三者にどのように伝わっているか、察しやつながりを読む、人と人との距離感を動物的にすぐに読むから、周囲は女性の勘?のように読まれてることが怖くなる。
「本当はわかっているのに、なぜ言わない(ださないのですか)」
非言語コミュニケーション では
読み取れないので、何を考えているのかわからない「気難しい人」
あるいは、わかってるのにいわない「むかつく」「あざとい」となる。(だろう)
自分は受け取ることと、出すことの非対称が問題で、
検査結果を見なければ自覚できませんでした。
一方、
・当事者が僕を見ると、いきなり「普通じゃないですか?」となる。
・ほとんどの多くの人は、「そうは思っても」関係性が出来るまでは口に出さないし、もちろん言わない。(凸凹の方はこの意味がわからない。)
・診察を受けていなくて、とはいえご自身を疑っていて、ギリギリに置かれている(私よりも繊細で)似たような方は、ご自身の似ているところが私の卑しく、無意識で自分自身へのツッコミを私を対象に、必要以上にツッコみ、ということも、私は察しがついているが、本当にボケているのかごまかしているのか試し出す。変なスパイラルになる。
専門家は広汎性とも、アスペとも、分からず、後藤先生によると、ADHDということです。不注意も多動はないが、思考については多動であることは間違いない。
話は飛ぶ。即興RAPや掛け合いも僕がちょっと若ければできると思います。(笑)
言われてみると、
母親も、本当はわかっているのに、嫌なのにその場に過剰に合わせる人で、その後で、溜まりに溜まってブチキレることがあった。遺伝だ。
僕も、周囲が、僕が反応しないから、皮肉を、言われてニタニタしていて、いじめられそうになると、キレて、後でフルボッコに殴る、なんてこともあった。
——
さて、自分の対処法としては
これまでは、感情が反応しないように、相手をあまり見ないよう、集中しないようにしていたのかもしれません。
今は、「観察」として、反応せずに、思っていること、気持ち、冗談なのか、緩やかなのか、おもしろおかしくなのか、厳しくなのか、余計に取り繕わずに、じっくり周囲に伝える習慣、勢いで深く考えさせないように、場の空気を作ること、心がけています。
凸凹の上部、妙に高いところ2箇所が下がるよう、相手の顔を見るけれども、ぼーっとして、楽にする努力。シリアスにならず、気の合うかたとたくさんお話をする。この歳ですから、できないところの9を上げるよりも、高いところを下げる方が楽だ。
後藤先生にも、「完全完璧の理論とか、逃げ道のない本当」を考え出したら、自分を疑えとの指摘。必死になって、集中をすると2箇所が目立ち、周囲がついてこれなかったり、周囲が遅く見えたり、悪か善かの2極化した思考になってしまいます。
そのような時は、ゆっくり、なだらかに。だらだらと思う。
長年、僕の深い部分に、気づいてくださって、楽しいおつきあいをしてくださる。あるいは諦めて、仕方ないなと許してくれる。そして僕も気楽に入れる方に幸い支えられていて、本当に感謝していますが、逆に、苦手だなと思う人には、余裕がない時は接しない。ズレているし、読めるし、疲れてしまう。
以上が、自分の考え方、対処法です。
こんなこと…かな?
生きづらいと悩むことは、長年、長所や個性とされた生活があるから、歳を取るほど認めることが難しくなる。だれも教えてくれないし。
個性は、長年の自信の源で、肯定感が強くなる。でも、疲れていてその方がゼロイチ思考になっていれば、自信(自己)の喪失はぶっ壊れるようでつらい。長年の歪んだ認知は補正に時間を要するし、補正を認めた瞬間に過去の思い出がトラウマになる、かもしれない。
だから、いろいろ考えると、伝えられないことも多い、心から自分で解決しようとおもわないと難しい。
なおさら、素人の僕が伝えるのは難しい。
入り込みすぎても、凸凹容認が嬉しくて、甘えることになり、依存がいつの間に共依存になる。だから強制的に放すことも大切だったりする。
考えると、難しくて関わりたくない、と本音となるので、なんとも難しい。
——–/
音楽ゲームのファンが多いことに関して。
音楽や歌詞、音色など耳で聞いて感じることを
リアルタイムで可視化して、音の構成・構造が見えたことは新しかった?のかもしれません。
映像にした音楽は、視覚が優位で、本来、音楽への関心が遠い性格の方が、なるほどと理解されたことが多かった?など考えています。
先の通り、直接お会いしていないのに、僕に対して近く感じる方は、自分の存在によって、もっと気づいたり、塞いでいた、凹部分が”重なり”不快感を覚えてしまったらどうしようと察すると。いい加減なことは言えません。
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研究で学びになった。
自分は個性が仕事にもなり、どこか、興味や関心で自分を調べたい気持ちはプラスでした。同じぐらい「感情や気持ち」「午後に疲れる倦怠感が数年取れなかった」が一番の動機であり、追い詰められました。
考えたり、悩んだり、解決しようとすることは、前向きに考えると不思議な人生のタイミングと思います。
また、音楽を作る人もゲームを作る人、俳優も、歌舞伎役者さんも、アナウンサーも、みんなに合わせずに、何か極めようとして、個を大切にしてきた方。バラエティ番組でも、雑談でこだわりな潔癖性を、ネタで伝えることもおおく、興味深く見ていると、凸凹に思うことも多い。その際に、才能や個性が生かせてとも言われると思いますが、何か極めようとすれば、個性的で凸凹。そんなものかなとも思います。
一応、おっさんとして、周囲の方、凸凹でも、そうじゃなくても、困っている方、頑張ろうとする方、僕は責任を持って、突き落としても厳しくも優しい応援をして必死に支えますが、知り合いでない場合、先述の理由で返信は難しいですし、気持ちを鑑みた言動は不得意ですので、気分を害してしまうことも問題と考え、知り合い以外の繋がりはもちません。
一方的ですが読み物として、何か役に立てばなと考えています。
あー、文章は難しい。
Comments by djnagureo
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