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先日Madonnaの「CHERISH」のシンセベースが最高!とお話をしていまして。

僕もとても好きな曲です。

ルンルンしていて、楽しい感じで、幸せそうでとにかく大好き。

歌詞もなんとなくしかわからないけれども、なんとなく。

言葉にできない。

 

なぜ気持ちよくて、楽しいのか。追求したくて仕方がなくて

子供の頃は、何度も何度も聴きました

どうしてだろう?

 

 

Madonnaのボーカルと、ベース(一番下の低い音)が踊っている。

ベースが、イントロで3連符で、「ラソレソラレ」

そのあと、8部音符と、2拍の裏で引っ掛けの音があって、スキップのようなノリを作れる。

マドンナのボーカルと、一緒に飛び跳ねているのですね。

Madonnaの声は、子供っぽく、童心な雰囲気。

ベースは、アタックが早くて、コリっと、突っ込んでいる。

そして、そのコリっを出すために、アタックにレゾナンスのようなうねりがあります。

 

この踊っている2つのパートに対して、

白玉(ながめの音の和音)で、やわらかいPADが包んでいて

平和や和み、優しさを伝えています。

 このアタックの強いベースは、Moogなどのアナログ系

パッドは当時流行った、あのシンセかなとか、いろいろ考えます。

ぼーっと聞くと、音楽の空間が言葉を超えて風景になり、楽器や演奏の雰囲気が浮かんできます。

ボーカルが入る前に、多分、スタジオで全員が、このノリやグルーブに心が呼応して、マドンナも心地よく、歌詞、言葉やそれぞれの意味も超えて

良いレコーディングが出来たのではないかなと思います。特にベースのミックスバランスが高めなのは、みんないいねとなった。だろう。

何か、こういう曲にしたい、アレンジにしたいとしたときに

一つ一つ、担当する人、コンピューターに打ち込みをして

音楽のプログラムをする人、エンジニア、ボーカルも、ディレクターも、トラックをそれぞれの音を流し込む時に、今日はヤバイぞ!となる。表情を見ると全員わかるものだ。

そのスタッフの想いは、言葉や文章で、「こんな感じ」を超えて広がって、作品ができるものと思います。

Madonnaも、Like a Virgin や True blueなど、デビューが遅かったのか、若さ、ラディカルだけではなく、政治や社会へのメッセージ、極端な肉体改造など変革な時期。特に歌が個性的でもなく(ごめんなさい、ポップで器用ということです。)この曲のような少年の声は、Evitaでも聴けますが、とにかく焦った時期であろうこと、僕は察します。さらに、この後10年。eroticaなど長い苦悩な時期が続き、2000年のMusicで方の荷が下りた復活と思います

 

「良い音楽も、アプリも、ゲームも、ビジネスも感覚、直感。

でも、感動しても、それを支えるのは、 となぜ?と、理由のツッコミの両方だと思います。」

 

僕は、20代

音楽の仕事がメインで作曲や編曲をしていました。いまは、機材の操作も面倒くさくなりましたけれども、少ない楽器で十分。

良い意味で、素人にリセットしたかなと思っています。

いろいろ、気持ちを想像したり、子供の頃のような聴き方ができています。

(趣味として面白く感じて、老後に備えて、指や耳を鍛えようと。)

 

かつて作曲するときは、

・音色や空間から作ること

・メロディやハーモニーなど、頭で作って、楽譜とにらめっこして作ること

2通りあった気がします。これらは、頭の中で出来上がって、鼻歌を歌って

和音や構成を考えて、コンピューターに弾いた気がします。

 

さて、本題ですが、大人になってから、大好きな曲。

「After the Love has gone」Earth Wind & The Fire

 

キーボードやピアノで練習をしながら、分析をしています。

メロディはすんなりと聞こえますが、

曲名や歌詞でもわかる、

難しい人と人の背景は、和音、編曲の難解なひねりでサポートしていると

本当に思います。研究したくなる。

 

ポップな楽曲の中では、史上最高に難しくてテクニックがちりばめられているような。

イントロは、鍵盤、David Fosterな入り方。

BメロのBbmaj7から、ベースがBで、上がAmaj7で世界や空間が、

何か起きてしまった、これから何か起きるぞ?突然変異が緊張感を与えます。

メロディはそのまま流れているのに、和音や構成する周辺だけは

一時的、臨時な転調によって緊張感を与えている。

メロディといった、守るべき大事なところはキープされているのに

周囲は突然変わってしまった。

とても歌詞とマッチしています。

 

さらに悲劇は、サビの部分

メロディのトップの音は変わらないのに、和音から転調しています。

oh! は、それまでの流れではD#だったのに、Ebという表記に変わります。

音として同じなのに、和音や周囲の構成が変わると

メロディを包む環境が変わると(調性)

メロディ=主人公たちは同じなのに、「こころからの叫びであるOh!」は同じ叫びなのに、環境や周囲の解釈は変わってしまった。

悲劇です。

 

編曲で、ピアノの黒鍵のグリッサンドで

強引な転調がマイルドになります。

もし、グリッサンドがなければ、殺伐としていたはずですし、歌いにくいです。

メロディも、EW&Fのわりに衝動的で切ない感じ。その繊細さを、和音の内声というのか、テンションコードが伝えています。

普通に作曲すればもっとシンプルにできるのに、あえてなのは、複雑な気持ちを表現したい。

メロディに対して、よく聞くと、和音の構成がメロディ並みに微妙に変化していきます。

でも、和音の縦のラインだけ追うと、流れのリズムを失ってしまう。

サビのタッタ!という、リズムは感情の衝動性を伝える。

実は、チャカカーンのThrough the fireとも共通する。複雑なコードだけれども、4拍の裏のシンコペーション(っていうのかな)

キモなので、難しい。僕は、楽曲を分析した後に、考えずに感情で弾くように努力をしている。 

DavidFosterの知的で繊細、この方は相当苦労と努力と

それを見せないマイルドで、紳士的な。何か性格もわかるような気もします。

衝動や直感、ナチュラルと、理論。

生意気にも、いま、音楽にも、いろいろなことに問われているような気もします。

若い頃は勢いで走れた。感覚だけでもよかった。

感覚ではなく、考えたり、苦悩の中で悩むこと。そして、感覚に戻ったり、繰り返す。

良い音楽も映画、アート、事業は

携わる人のその瞬間、その時の気持ちやおかれている状況

意識、目線の微妙な組み合わせで変わります。

どんなに優秀とされている人でも、たまたま気持ちがのらない場合

苦しんでいる時期、

声や言葉でよく伝えても、何か作るために「予算やお金」があっても

荒んでいれば、良いものは作れない。平和で不自由がなくてもうまくいかない。

もしかしたら、荒んでいても、どん底から乗り越えて

荒んでいた経験を苦しんだことにより、すごいものができる。

そのように考えています。

 

僕は、先のブログのように表情であったり、ふとした仕草など

言葉を超えた、空気を痛いほど受ける。

目に見えるもの、アプリでさえも、UIがどうだとか、理論体系

言語的な説明はとても大切。

本当は、苦悩をどのくらい逃げずにぶつかってきたか。とか、何か気づかない部分でいろいろあるのではないか。とか、この雰囲気はこの方はどういう人生を歩んできて、日頃どの視点でみているのか、感じているのか。

いろいろ爆速で、先読みしてクリエイティブを僕は考えます。

メンバーやその環境全体を見て、どのようにコントロールをするのか。

まだまだですけれども、40代の自分は、

「それを知らない」人に、かろうじて無知の知を教えること。

勇気をあたえること、突き落とすこと、それでも支えること。

課題だなと思っています。