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私の会社、株式会社ユードーは2003年の創業で、緩やかに1億円近い資金調達をおこなった。

2019年の今、GOALとも言えて、いくつかの株主から株を買取して欲しい要請を受けた。久しぶりに「創業者兼オーナー」として、会社の大部分を所有することとなった。長年の株主との別れは、寂しい思いもするが、前向きに清々しくもある。

約10年前に起きた債務超過を経て、すこしずつ利益剰余金も増えた。崖っぷちから立ち上がり、”自社株”と、”私個人”の双方で買取して、良い締めくくりができたとおもっている。

長年ファイナンスを受けてきた特別な経験と、ベンチャー期にいただいた支援と、投資家によるアドバイスのお礼もあり、まとめておきたいと思う。

 

株式のシェアはどうでもよかった

資本政策を間違えると、株の持分はやり直しできず、後で大変な目にあうといったこともある。みんな、口すっぱく言う。私は、最近になって、再び過半数以上を持つオーナーシップに戻っている。

起業家と株主の良いパートナーシップがあれば、資本政策を超えたストーリーを向かえることができるし、1/3や1/2やらの議決権行使は、経営が正しい流れになれば、異議なく全員賛成となった経験もしている。

私は、マイペースな経営に切り替えて、

・株主の期待する大成功ができず申し訳ない思い

・かろうじて良いこともできた感

両方あるが、資本政策は丁寧でよかったと、振り返っている。

ベンチャーキャピタルとの出会い

ベンチャーの醍醐味として、ベンチャーキャピタルから資本調達があるが、手元資金が厚くなる一方で、どんどん創業者比率が希薄化していく。

起業後3年目で5-6千万円ぐらいの売上に到達した。よくある話だが、うまくいくか、悪く進むか、最初の結果が出る頃、創業メンバー同士の分裂が起きる。また、不思議とそのタイミングでVCから問い合わせがくる。相性は大切で、若い会社なのでデューデリもせずに直感で両者意気投合し、長年のパートナーとなっていただいた。

相性は大切で、違うと思ったらきっぱり関わらないことも大切だ。私に対して、金融系・超サラリーマン、ベンチャーキャピタリストは相性が良いわけではなく、ものすごく時間がすぎる。このようなことがあった。

・VCが所有する「海が見えないのに海に近いオフィス入居」を投資の条件として、投資もコミットしない独立系VC

・無意味に従業員全員に対して、銀行口座開設をさせられ、キャッシング枠が異様に低い地銀系クレジットカードも与えられた。銀行系VCは無駄に訪問して、VCがあつまる午後の憩いの場になって少々呆れる。

おそらく、大勢で来社するような、リスクを分散させるサラリーマンVCよりも、1人でリスクを取り、決定をする人は大物だと思う。アーリー&シード期の投資なんて、バリエーションも適当で、まだまだわからないから、玄人の投資家ほど、経験と直感を問うものだと考える。

以上は、大昔なので、今の時代ないと思うが、まあ、酷いこともあった。

結果、2006年に、リードインベスターとなる光通信社と、アニメ制作のゴンゾ社と意気投合し、俊足に数千万円の資金調達をおこなった。会社員時代にストックオプションで良い経験をしたこともあり、深く考えずに、発行をしすぎたり株価もいい加減であった。このあとも、死に物狂いな債務超過の経験もあり、猛烈にバリエーションをつけて調達をしたいと思うことが何度もあったが、当時のCFOが無謀な調達をせず、エクイティファイナンスとデッドファイナンス、銀行融資を組み合わせたことが、吉となった。

ファイナンスでの慎重だったことは、今のオーナーシップに役に立っている。

リードインベスターの支援と少数株主

事業会社でもあるリードインベスターの光通信社は、私に対し、キャッシュフローが困らぬ程度に大チャレンジをしてほしいと、長年に渡って激励があった。信頼をしていただいていて、私の方針全てにアグリーをいただいた。今でも株主でいてくださる。

だが、たくさんの株主の意向をまとめるのは難しく、個人資産で投資をしていたり、堅実さを求める株主もいて、経営にブレーキをかけたこともある。

忘れられないのは、数年前に、単発的に売上停止をする事態が頻発し、経営危機に陥りギブアップ寸前だった。ステークホルダーのうち、個人株主へ緊急でリスクを伝え、株式の買取をおこなった。

危なっかしい事態が発生した際に、株の買取要請を受け、社長の私が責任を取るとしてきたが、積み重ねで、私がオーナーに戻る資本政策となった。

ハンズオン

お金以上に、経営支援も大きい。

債務超過時に光通信社は、私に勇気と、厳しくも経営指導についてたくさん教えていただいた。緊急事態の際には光通信者の大和田常務まで会社にお越しいただいた。電車に飛び込みたくなる気持ち寸前の頃には、オレンジ色の電車が走る市ヶ谷で、当時は幹部で、今は投資事業をされている眞下さんに勇気づけられた。

ファイトと憔悴の間だった私に声をかけていただいたこと、とても大きく、私はまだまだいけると勇気付けられ、思わず「ゾッス」と思ったが、YESかNOの2bitの大切さを理解した。

なんとか乗り切ると、今度は5年満期ファンドが迫っており、私が個人で買い取る話もあったが、借金まみれでお金はない。金持ちを探して、買ってもらう案もあったが、冬の夜長なキリギリスの周りには、勤勉な蟻だらけだった。

ところが、インキュベイトファンドの(今は、日本ベンチャーキャピタル協会の会長にもなられた)赤浦さんを紹介いただき、買い受けしてくださり、すごいことに、事業の知恵もいただいた。私は爆速で復活し、嬉しさのあまり、2週間おきにアプリをサービスインしていた。

この時期のテンションの高さは、のちに高血圧と、周囲から某芸能人のように、あぶないと通報されるぐらいだったが、思いついたことが、全てマネタイズできたので楽しくて仕方なかった。

光通信のみなさん、赤浦さん、ゴンゾの石川さんも、好きなこと、面白いことをたくさんやってほしいと要請されたり、宝の様なアドバイスを沢山頂いた。寝る時間を惜しんでプログラマと開発をしていた。

自由な私は、資本のシェアは関係がなかったが、赤字にはするまいと、その約束だけは必死だった。赤字転落すると、私が直接舵を取り組織は崩れてしまった。

また、判断を間違えたら、今頃会社はなかったであろう、場当たり的な売上に走ることもあった。

自社事業と受託からの脱却

2011年ごろから、大手数社からの受託開発で年商1億円を超え始めた。震災直後の頃だが、新しいことで多くの人を誘導する、ユードーということを忘れ、大きな受託開発受注で喜んでいた。しかし、タイトな孫請け案件で、社内も疲弊していた。

赤浦さんが、「受託ゼロ、自社事業に全集中」と、伝えられて目が覚めた。育てた自社事業も急伸していることに全く気がつかずにいた。短期的な成功体験は、長期的な舵取りを間違える。間違えた方向での1億円程度の売上は、糞食らえだったのだ。

早急に、自社事業に転換をして、念願の年商2億円を超えることとなったが、私の経営力のなさによって、黒字は確保したが、組織拡大と解散、業績悪化、緊急解決を1年間隔で繰り返した。組織が伸びない問題は解決ができずに4年が過ぎて、株主とも疎遠になってきた。

社齢→私のEXITは会社の所有だった

悲しいことで、「社齢10年」=ベンチャー期を終え、株主の期待する飛躍的な成長に応えることができずにいた。

また、多動なモルモットになるべき、プロトタイプ爆速開発会社の方向さえも進められなくなり、黒字着地と配当を出すことに必死でもあり、株主の動向も気になってきた。そろそろ株の引き上げや、買取要請が来るだろうと思っていた。

私は、Tech系なベンチャーブームに乗せられて、ビッグマウスで、自分たちが会社の価値とだと考えている水準よりも、かなり高いバリエーションで資金調達をしたいと思っていたことがあったが、結果として実直で適正に調達をしてきたことが、今回の前向きな買い戻しにつながった。

その時に、私が、今更気がついて、アホだなとおもうこともあって、私のEXITは、IPOでも、M&Aでもなく、オーナーに再びなることだった。私の寄り添った人生と会社を一緒にしたい。

私の思い出は売却できないのだ。

なんとなく、会社を売却をした経営者を見ていて、腑抜けになっている人も多いような気もして、私にとって、長年の変わらない日常と、変わらない愛すべき仲間は、これまでの組織の混乱や、辛い思いがあるから、とても大切だ。

そこで、創業期のように、事務方や、士業の先生方、そして光通信の中山さんにサポートをいただき、臨時株主総会を開催し、なんとか最後の手続きに入った。

良いことに、今期も頑張ってなんとか黒字になりそうだ。

私がエンジェルで、バリューをつける

天才児を育てる福祉施設「ドーユーラボ」は、起業家の目をもつ子供や若者が育っていくように考えている。かつての私のように、多動で活躍をする若者から、多くの人をユードーする、スピンオフが再び起きることを楽しみにしている。

今、私の最高でハッピー、かつ贅沢なことは、エンジェルとして個人投資家のように。、どこかの会社に参加をして、私によって最高のバリューになるような、パートナー=若い起業家を探すことなのだ。ミイラがミイラ取りになったとも言える。

また、私の会社ですら、社長を誰かに任せたく、社内にハンズオンで誰かしら社長を育てている感覚で、1年は完全つきっきりで私が直接事業に就いて、組織を脳みそ100%コピーぐらいにして、あとは事業を任せるスタイルで、どうも落ち着いたようだ。

株主へのコミットも軽減したことが大きい。10年後の私が就労できるような、事業を今から準備しているともいえるし、セミリタイヤ風だが、プレッシャーが全くなくなって、楽しく、事業をやっている。その方が、結果、私は経営がうまくいく。

私は、作曲家であったり、ゲームクリエイターであり、IT経営者でもあり、また事業で発達障害の専門家になったりして、ハイパー胡散臭さがある。たまには、経営話をしたいと思った。

 

事業・個人の株主のみなさま

ご支援、本当に長い間ありがとうございました。