Pocket

NEUMANという、シンセサイザーを開発致しました。

800万円超の究極のシンセが誕生!?ビーマニ開発者が率いる日本のベンチャーがNAMMに出展だ!

neuman

IMG_6600

僕は、音楽を作る人なので、

「手や指で弾く、演奏すること」に

心なのか、その日だけの自分があると思っています。

 

最近は鍵盤に触れることも少なくなり、

たまにピアノを弾くと、若い頃のように弾けないのですが、

純粋に音楽というのは、

気持ちやコンディションがそのまま伝わるな

 

ITの仕事だからこそ、ふと気づくことが多くなりました。

 

今、誰もが気軽で簡単に”サウンド”を作れるようになりました。

 

でも、自分のオリジナルってなんだろうって考えると

若い頃の、

音色や音作りで影響を受けるサウンドも良いけれども

時代が変わっても、良いなって思い曲というのは

頭でメロディーが浮かび、指で伝えた曲だったりします。

 

このシンセを作る時にイメージしたのが自分の曲で

do you love me?

23-24歳の頃に作った曲なのですが、

鍵盤を弾く人ならではの曲作りとして、

フェンダーローズやムーグのシンセサイザーなど、

歌を入れた自分の曲が良かったなと思います。

 

DJやリミキサーというよりも、作曲家として

スティービーワンダーやデビッドフォスターの曲作り

アレンジを勉強して、途中の転調やAORのような

大人っぽい、ピアノのフレーズなど、

当時の先輩スタジオエンジニアさんにテクニックを学びながら

作曲しました。

特に、この編曲は

キーボードプレイヤー西脇さんのイントロからのムーグベースやクラヴィネット

がかっこいい。

 

若い頃を思い出して、

ガジェットではなく、純粋に演奏や曲作りに最高なシンセを作ろうとプロジェクトが進みました。

 

当然ですが、大きなシンセサイザーの開発はお金がかかります。

こだわればこだわるほど。

気を抜けば、どうとでもなりますが。

 

自分は、自分の会社でありながら、

たくさんの関わる方々も考えて、

ものすごい開発費を持つという責任をもち

 

会社をやって、初めて自分自身の思いもあって

2ヶ月ぐらい、ほぼ泊まり込みで不眠不休ぐらいで作りました。

テンションが高いのか、低いのか、

自分でも奥わからないぐらい、猛進して、力一杯やったかなと思います。

 

今、世界最大の楽器ショー summer nammに参加するために

テネシー州のnashivilleにおります。

出張も気軽にできるようになりました。

会社を作った時、10年以上前ですが

飛行機はエコノミーで

モーテルのようなホテルをシェアして

数万円も無駄なく、

AppleやMicrosoftのダウンロード販売へのアカウントを開くために

サンノゼやシアトルに通いました。

当時は、その話や交渉について、銀行の方も、いろいろな方は

よくわからず、ベンチャーの若者の夢話のようになってました。

その結果、僕の会社が今、アプリとして存在することになります。

また、ファーストクラスではございませんが(笑)

ビジネスで、人並みのホテルに泊まって、ご飯をたべれることに感謝をしております。

 

僕の次の一手は、

感情や心のあるものづくりかなと

43歳になる僕は思っています。

自分だけの1台とか、シンセだけではなく

デザインされた、冷蔵庫も、洗濯機も、ヘッドフォンも、スマートフォン、車も

大量生産ではない、自分だけの大切な1台。

そのような事業に興味と関心があります。

 

僕の会社では、社外取締役の保々先生によって

マーケティングの講義があります。

僕は学校の勉強は苦手ですが、

感覚的に、求める人に向けて、次の時代はこうなるかなと思っています。

 

僕は、14年目にして、本当に作りたいものを、

そして発表の場にゆとりを持って、参加できることは

並大抵ではなかったなと、一つだけ

自分を褒めつつも

過去、お金と人で大変で、難しくて、

だからこそ、このタイミングは今しかないと

必死で懸命にシンセサイザーを作ることができました。

 

今回は、飛行機に乗るギリギリ寸前まで

プログラマがタッチパネルの調整をしてくれて

みんな梱包など手伝ってもらいました。

 

また、プログラムもギリギリまで、納得いくまで調整をしている

渡部さんをみていて、

物作りも、音作りも、何か集中して極める面白さ

恐怖と快楽の戦いだなとも思いました。

 

また、

今はわからなくても、若いひとたちにチャンスも提供して

この行き当たりばったりに見える、ユードー、僕流の開発に

疑問や心配に思われても、屈せずに、厳しく

自分のものづくり手法を見せることができた

現代においては、なかなか、この開発手法は難しいとは思いますが。

 

感動を求め、与えられるすごい人が

みんなが頑張って、作品を生み出せました。

僕は、社会人になってから、ゲームもソフトも

たくさんの失敗と、ちょっとだけの成功体験があり

成功体験がかろうじて上回り、たくさんの人に

面白さが提供できて、その結果今の自分が支えられていると思います。

普段は我が儘ですけれども。

 

やれるというプライドを持って

本当に作る、作ってやる、懸命でした。

そして、ずっと見守り、応援してくれた人も

ハラハラしていた人もいると思います。

 

4月末から集中のあまりワープしておりまして、気が付いたら夏。

でも、Nashivilleでゆるやかに、集中が溶けようとしています。

どうとでもなれ!

ご協力いただいた皆様にお礼を申し上げます。

ありがとうございます。