沖縄に移住して、「発達障害研究」に夢中になること・・・はやいもので、10年になります。そして、沖縄市、浦添市、那覇市で子供達を支援する、放課後デイサービス、ドーユーラボを2018年に開設いたしました。社員は12人で、社員の皆さんに事業を引き継ぎました。
施設の子供達も、延べ100人を超えると思います。初期の子供は、高校生、社会人で、進学校や大手上場企業に入社しています。本当に立派に成長をしています。治ることに近いなと思います。
8月16日に児童支援の本が出版されます。( amazon リンク )
児童の8.8%( 文科省2022年度発表 出典元 )が発達障害に該当する時代です。
昭和の時代であれば、個性とされていたこと、今の時代、障害となってしまうのです。
困っている子供達のためには、よい生活・学習環境が必要で、精神科医後藤先生に支援をいただきながら、沖縄の仲間たちと放課後デイサービスを立ち上げましして、シンセサイザーやコンピュータでのお絵描き、音楽制作、プログラミング、動画編集など、幼い頃から面白い環境に触れさせます。僕の、使い古しではありましたが、良い機材をたくさん用意しました。
子供達を育てた経験もあり、本心では、大人も、児童と同じ割合ぐらいで 発達障害の人がいると思っています。2018年以降、たくさんの子供と出会い、支援の現場をみていると「この子のレベルで発達障害?」と、驚くことが多かったこと、私がいたゲームやIT業界、さらに私の会社に延べ50人以上の社員がおりましたが、トラブルのたびに、医師や専門家が、発達障害の可能性を伝えてました。
不適応な部分を補正して、診察を受ければ、発達障害の人は、むしろ仕事ができる人、才能溢れる人なことは、特殊な業界にいたからこそ、経験上わかったのです。
だから、発達障害は、特別でもないって思います。
最近は、話しただけ、見た目ではわからない子供も増えました。発達障害は、「障害じゃないのでは?」と言われてしまうことも、よくわかります。
昔、僕に対して、よく公言できますね?と言われることも多かったですが、患者さんは多すぎて、そのうち障害ではなくなると思っています。もちろん障害であることは否定していません。
多数派、定型発達の人は、自分が存在しなくて、空気のように環境に合わせられるし、自分を無くすことができます。人との距離も適度にとれます。自分の人生はこうあるべき!とか、子供の頃にあるような、こうなりたい、夢、目標などは、徐々に、周囲の中の自分の存在になるので、無に近い状態になると、想像します。
例えば、身近なことで、こんな方は当事者だなと思うことです。。。
ネットや掲示板、政治や芸能人、事件に至る社会の問題をあつく議論していますが、多数派の人は、わざわざ知らない人や、匿名同士で弁論をして熱くなったり、名誉毀損だ!など、やり合う意味がわからないと思います。
定型発達の人たちは、他の人に無意味に近づいたりもしません。人との距離がほどほどにある。自分の考えや、意見を持っていないわけではないが、激論をする意味もわかりません。
議論をしたいってことは、世の中が大きく変わったり、新しいことに進んでいくと思います。自分の意思を貫いたり、知らない人でも、自分を伝えられること。
逆に、知らない人の伝えること、やっていることも、気になる・・・。社会問題に毎日ツイートしてしまう。社会を変えたいと思う、変革者なのです。
IT企業では、エンジニアが数時間もモニターに向かって仕事をしています。1日数時間、そして、数年もずっとモニターを見れることは当たり前です。でも、一般の人は、どんなに好きでも、パソコンの前にずっといることも苦痛かもしれませんが、IT企業では普通です。(私も・・・)
発達障害の人の周りには、発達障害の人が多くいます。その方が相性が良いし、居心地が良い。発達障害の診断を受けなくても、自分がそうだと思わなくても、あたりまえな環境にいるから困らずに良いのです。
だから、困らなければ、診断を受けなくても良いって思います。
才能じゃないですか!
SNSや社会の成熟によって、人と人が近くなり、それゆえの時代の変遷で作られた障害と思っています。困っていなかったり、良い環境にいれば診察を受けなくて良い。でも、うすうす気づいており、何か問題を感じているのであれば、診察を受けた方が良いと考えてます。
人は、考えることと同じかそれ以上に、心の中の自分の会話、意識のようなものがあります。その意識を、言葉や表情、態度といった人間のインターフェイスを通じて、社会性という名のコンバーターでつながっていきます。
だれでも、心の中にある、自分に対する日常の会話は、つまり、お腹が空いた、とか、疲れたとか、いやだなとか、自分に向ける思っていることは自閉的ですが、コンバーターによって、心が外に出た時、思っていることと、社会がずれた時に、それがストレスになっていきます。これが発達障害のポイントと思います。
このズレを理解したり、自分で、ズレを評価できれば、たいしたことはなくなります。診察を受けると、ズレを考えて理解できるようになります。これは、かなり楽です。
私は、沖縄でずいぶん性格が変わり、自分の良いこと、悪かったことも受け入れ、補正をしたつもりです。施設の子供達は、幼い頃から、自分を受け入れて、良い部分、問題な部分は補正をすることが、自動でできています。羨ましいですけれども、才能の宝庫です。
ギフテッドと伝えても良いのでしょうし、そういった子供もたくさんいます。でも、この本では、避けています。
社会に通じる才能は、誰にでもあって、特別ではないと考えているからです。子供達の、ごく普通にある才能を開花させてほしいからです。ギフテッドにしてしまうと、発達障害であるかないか、などファンクションの部分で議論したり、特別にしすぎます。
ということで、
この本は、僕が、12人の社員と、、70-80名の子供達と一緒に、長年、沖縄のドーユーラボの研究をしながら、かつてnoteにまとめたものなど、読みやすくしています。
ぜひ、お買い求めください。
ついでに近況
私は、東京や沖縄の仕事の仲間で、楽しく働きつつも、年齢も感じながら、ゆっくりしています。高血圧もあり、いろいろ悪い。
落ち着きがないので、沖縄の家と、関東にあるいくつかの家の往復、そして、今は、ロンドンで次にやることを研究しています。でも、老眼も頭も、若い人に追いつかないですね・・・。
でも、「ソクラテスの無知の知」ってありますよね。でも、無知なことは、ネットのデータベースにアクセスをすれば、知識の外部メモリ化ができると思います。
個人的には、大学受験など学習をすることは、鍛錬と思っていて、そんなの外部メモリ化して、必要な時に引き出せば良い。ぐらいに、若い頃は思っていました。
今は、運動のような学習鍛錬が必要だよね。って思いまして、その外部メモリと、能力を上げるための鍛錬とは何か?って考えています。人の心、マインドをリアルタイムでフォローしたり、ケアできる心の声を開発できないかなと妄想しています。
VRは、頭部のインターフェイスが必要で、これは、重いし技術改善がまだまだ必要だろう。でも、サウンドや、声ならば、何か、人のサポーター、プラグインアプリケーションになるだろうなって、思っています。
先述のように、人には、意識があり、自分の心の中で対話をしています。
その自分を俯瞰することを、メタ認知といいますが、自分を俯瞰する際に、メンターのような、フォローがあれば、どれだけ楽だろうにと思います。ウェルビーイングってワードがありますが、豊かでよく生きることは、当たり前に目指すべきことで。行動や判断について、スマホをみて調べますよね。
さらに、心に対して、リアルタイム支援があれば、面白いかなと。aiのアルゴリズムも、発達障害の特性など統合したら面白いかも。と。
そんなわけで、僕の興味は、音から、ゲーム、アプリ、児童支援と展開をして、どうなるのだろうね。自分でも、わかりません。