沖縄で精神科医・後藤健治先生とお会いして早いもので、もう3年になります。
いつも南雲の問いに教えてくださって、もっと深く掘り下げて、毎回真夜中まで指導いただいています。ありがとうございます。
今回は、「脱感作」を教えていただきました。
いきなり難しい単語ですが。正式には
系統的脱感作法
(精神科医ジョゼフ・ウォルピが提唱した、)行動療法の一つだそうです。
少々「産業カウンセラー」の勉強をしていて、自分は、カウンセラーには全く適正でなさそうだけれども?自分に、ある試みを課しています。
例えば、「嫌だな」とか、「好きではない」その場面での思いや気持ち=嫌なことに気づいたとき
「内発的」に沸き立つ際に、
これまでの自分は、
言えなかった、伝えなかった、抵抗があって、抑えていた本当を伝えることはしない。
でも、言ってみる。
過剰な遠慮だったり、小さな発信を抑えているようで、自分が何を思っているのか、周囲がわからないことが、かなり多いから。あとで感情的に揉めるより、小出しにするクセをつけようとしている。
これをやめてみる。自分の場合、空気を意識していない気づかいをして、読みすぎていて、そのことを一部の人しかわからなかったのかもしれない。
周囲の人の新しい表情、変化を察したり、それを受けて、これまでにない自分の心を、意識的に「体感」する。
受け取りの感覚の違いを認知をして
さらに自分を客観的にみようという試みです。=脱感作法です。
「空気や相手の気持ちを読みすぎていて。」思いを言語化できなかった。
感性は誰よりも早いのに、我慢をして抑えること。
場を取り繕う。大人になれば誰でもあると思いますが、
この裏には、誰からも嫌われたくないというACの気持ちががある。
「感情の我慢を一旦は抑えない試み」「些細に反応をする試み」をしています。
過去の自分であれば、
「場の空気や雰囲気が壊れてしまう恐怖があり、遠慮をする。」
そこを、
少しずつ自分の感情を「そのまま」出すと
周囲はどう感じるのか。
その場にいる、人々の表情はどのようになるのか。どのように配慮をするのか、変化を確かめます。
多くの人は、「この人相手にしても仕方ないから近づかない。」っとなるが、一部、自分と同じような気質の人や空気を読みにくい人は、自分のように見えていて、自己ツッコミを僕に向ける=イライラするという発見。
この際、自分がもっとも大切にすることは、「振り子」のイメージ。
普通や常識、その場の調和というのは
左側にぶれたり、右側にぶれたり
左右ぶらぶらしながら、真ん中に合わせること。
自分は、今までと異なり、逆側に降っているということを自覚することで、今も極端すぎるかもしれない。
左右の力で、微調整をしながら、良いバランスをとる経験をすること。
どこか頭で理解しているということですね。
よく質問で、「普通」common-sense、その場の常識について
伺うのですが、同じで、短時間か、その場の動きに対して
無意識で多くの人は、
左右の振り子で、真ん中を調整するのだと思います。
「思うことは、正しくないかもしれないから伝えられない。」
最近、多くの人から、よく聞くことで、とても気にしていることです。
これは、相手や周囲を配慮しすぎているとも言えるし、心の出力と入力というのかアンバランスを自覚しているから、しっくり来ます。
相手の本当の気持ちや、思いを、自分が緩やかに、決めつけずに代弁をしたり
多くの人が、言葉にできなかったり、言いにくいことを、自分が代わりに伝える役目になること、感情をこまめに出すことで、相手の感情をこまめに受け取る必要性を感じている。
私自身の気持ちが、あまり伝わっていないこと、組織や会社をまとめる際に、この部分が大切かもしれない。
多くの人に好かれなくても良くて、わかる人にわかればいいじゃないかと。そして、こまめに読み取れるように、伝えればいいじゃないかと。それで、難しいならば相性が悪いのだと。
ふと思い、試しています。
よくまとまっておりまして、リンクさせていただきました。