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SNSは、一部を除きやめました。

僕にとって、芸能人や著名人の方は、才能あふれるすごいことだけ知って、それを楽しめれば良いです。プライベートには興味はありません。

お笑いの人が、他のお笑いの人を批判をすること、好きではありません。もちろん個人が、誰のことが嫌だとか、好きとかは、自由に思えば良いことですが、それを外に伝える意味がわかりません。

自分とは直接知らない人のニュースを、論評することも、個人の自由です。でも、それを、見知らぬ人やフォロワーに伝えて、社会が醜くなることは、不愉快です。

いろいろな、汚くて、よくないことが、プッシュ通知で、僕に届くことは不愉快です。PCを起動しても、暗くての大変なニュースが通知されます。

明るいこと、楽しいことを前提に、問題を解決していきたいと僕は思っています。僕は合理的なので、人の評判や批判や、噂話は大嫌いです。その人と関わりがあれば、その人との関わりの分だけ気にして、その人の知らない一面は、知る必要はありません。

「場の空気を読む」とは、たくさんの人がいる中で、たくさんの人を配慮した言動をとることです。朝歯を磨いている時、ランチを食べているときに、ネット上の色々な批判が議論され、日本中、世界中の事象にいろいろな人が論じること、「朝まで生テレビ」が永遠と放送されているように感じます。

僕は、インターネットとの付き合いが、30年ぐらいになり、SNSもマッチングアプリも黎明期にたくさんつくりました。twitterもフォロワーがたくさんいましたが、コロナをきっかけに、緩やかにフェードアウトしてきました。ネットが社会を変えたことは明確ですが、エントロピーの増大は苦痛になってきて、考え方がかわりました。

コロナによって、大切なことは何かとわかりました。だから、今は、自分にとって一番実りあり、楽しい時間を掴み取れたと思っています。

人々は、生きている間に、たくさんの情報が入力され、愉快・不愉快、ためになる、有益なことを学んでいます。僕も、残り少なくなってきた人生を、もっと豊かにしたいと思っています。

50歳になる僕の、衰えていくであろう知力、残り少なくなってきた人生を、大切なこと、大切な人だけで生きていきたいと思っています。僕は、僕の会社の人や、家族、友人が豊かになれば、それで良いです。それ以外の人は、興味はありません。

相手が僕を知っていて、僕が相手を知らないのであれば、僕は公人ではないので相手を知ったり考える必要はありません。ネット社会の無駄な拡大は避けたいです。

僕のことを偏屈な人と思われても良いのですが、知らない人が、僕のことを分かったかのように知られること、伝えられることは苦痛です。

今、僕の知人や仲間が30人いるならば、30人を100人に増やそうと思いません。30人の方と末長く仲良くしたいです。友達を増やしたいと思いません。人の繋がりは、繊細です。

もちろん、人付き合いは嫌いではないので、昔からアマチュア無線や僕が作った斉藤さんのように、匿名や記号化された僕でつながる楽しみは持っています。その場、その瞬間の仲間であればよいのです。継続する必要はありません。

 

以上は、僕の思いです。もちろん、論評も評価もいりません。