ソーシャルの温暖化現象と、メールを見ない生き方。

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ボクは、Facebookをやめていて
メッセージしか読めない。
メールも、全く受信していなくて、報告をしてもらっている。

でも、Twitterについては、本音をちょっと言うと、
PRもあるのでやっているし、
他愛のないことをつぶやいて、やる気を見せてはいます、けど。

以前から指摘をしていますが、
情報や思考レベルの低い人の、多数決や意見の集約は最悪だ。
「民主主義、多数決は最悪の手法(チャーチル)」
→すみません、ちゃんとした文章わすれた。

どこかの自動車業界の知人がいたとして
Facebook上で、
政治について、必死に薀蓄や賛同を求められても困るし
むしろ、専門分野についての深い考え方を聞きたいのに、
興味があるのに、
「笑ったらシェア」なんていわれても
もし、彼が管理職であるならば、
業務時間に(会社が売上未達で大変ならば)、
もっと仕事について集中して考えて
部下や家族のために働こうよ、なんて思ったりする。
取引先で、その担当者が
やたらtweetされても心配だし。

井戸端会議的な
そして、対象者と自分の距離が遠いような錯覚から
あまり考えないで発言してしまう。
その情報の集合というのは、既存メディアよりも性質が悪い。
日本人っぽい、空気を無責任につくり、
それに右往左往する企業、結果経済が動き
責任の所在のない、二酸化炭素が、民意と結集で
直情的に、政治も動かし、大衆が鼓動して。
危ないなって思います。

優秀な方が亡くなったって、
その業績、仕事、分野について、
よく分からない人たちが、
井戸端会議をして、さらに、その中で良く分からないくせに
「何とかにおまかせ」の、
芸能人みたいな、声が大きい人がいて、
拡散され、二酸化炭素が増え続け
情報の温暖化現象だろう
って思う。

不正とか真偽とか、研究とか、それは
ボクみたいな、三角関数も分からないおじさんが、
誰のお金で、渋沢栄一が作ってとか、
そんなの何も知らなくて
何も言うことはできないのだと。

ボクは、わりと炎上を10年以上前からやっているので、
気にならないけれども、
普通の生活をしている人が、実名で
ものすごいRTされたら、そりゃ大変だ。
そして、普通の友達が、悪意はなくて
内容を、心配してtweetした日には、
無責任のRTやシェアで、もっと拡散。
そりゃとまらない。

こんなこともあった。
行こうとした施設のおじさんが、
ボクのTweetに文句言っていて、二度と行かないぞってww

ボクと持っている情報の量も
知見も何か分からない人に反論しても意味がないし。
基本は無視がよいかも。

ということで、ソーシャルメディアが台頭して
企業が公式ページを、なんて2000年代半ばの動きは
10年サイクルを過ぎたと思って、
ボクは次の時代のメディアを
誰よりも先に研究して、作りたいと思っている。

また、最近ミニマルライフって本が出ていて
ちょっと近いのだけれども、
ボクは、情報も、無駄な行動もあえてシャットダウンしている。

やたら、外部メモリのように、情報が増えても
深さや理解度には限界がある。
必要な情報をきちんとキャッチして、
無駄情報はなくても良いのだ。

ネットも、街も情報にあふれ
決定のためのプロセスや経験が重要なのに、
ひたすら情報だけ集めて、何も決められない状態よりも、
理解できそうな、必要な情報だけ集めたほうが
結果、どんなに自然で、ストレスがないのか。
情報のポストモダンも終わりなのかもしれない。

ボクは、すでに開発に集中するためにも、
人に会わない、Facebookも、メールも見ないことに専念していて、
メールは1日150通だけれども
厳選したものを報告してもらっている。
ボクが、本来やるべきことに集中できる。
人も、じっくりゆっくり、月に何名までと、
絞り込んで、大切な時間にお会いするようにしている。

いまのところ、これでよいと考えている。
このブログのライフハックなんて、旧世代な言葉だけれども、
まさにこのとおりだと思う。

無駄な、モノは捨てよう。

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この記事を書いた人

管理人です。多趣味です。
沖縄在住です。音楽好きです。ラジオが好きです。

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