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最近 いろいろ増やさないようにしていて
モノも、情報も、全てが対象で、

増やさないことで、
じっくり深く考えられるから
と言うことでもあるのですが、
自分の外側の情報がどれだけ大事なのか。
むしろ、答えというのは
外部の情報は引き出し、というか、インデックスで
きっかけであり、答えは
心の中にあるって考えている。

本当の自分の答えというのは、
今はないと思っても、
一回以上過去に思考して
解を導きだしたプロセス付きのデータベースであり
プロセス付きと言うことが重要。

一回考えたことと、
同じコトを考えることは無駄だけれど
新しく外部から加わった情報で
さらに、思考が深くなる。
思い込みが、間違っていることも気がつく。

情報も、ご飯のように
毎日の生活だとすると、
良い食事、悪い食事があって、
基本的に
人間は、頭の思考を停止したり、軽減したり
コントロールを自発的に出来ないと思うので
どうでも良い情報や、ノイズは消した方が良いし、
また、どうでも良いと思いつつ、大事な情報だとか
精査した方が良い。
実は、この部分を最適化した方が良いのかもしれない。

なぜ、こんなことに拘るのかというと、
インターネットが仕事の現場に
90年代後半に導入され、徐々にイントラネットを解禁し
当時は、ネット接続も制限されていたのですが、
2000年前半には、ほぼPCに向かい、
ネットには接続されるのが当たり前な時代になりました。

そのころから、
モニターの情報を得て、狭く考えると
ネットの情報を検索して、サウンドを作ったり、企画や
事業の戦略を練ったりしていて、
実は、練っていなかったりして
サウンドや絵を描いたりすることが、効率的で
本当に作品や仕事に生かせるのか、とても疑問に思っていた。
よく、企画の現場では、ググっても出てこない
なんて言われていたけれども、、、

と言うわけで、
クリエイターで、一日の大半を
パソコンをずっと見てるのって
情報がストリーミングで入ってきて
一つ一つ止まることが出来なくて、
どうもおかしいと思うし、SNSも業務時間中に
常に確認して、気にするのも疲れるので
Facebookはメッセージ以外は止めた。

サウンドの場合は、
頭の中で、作曲をして、空間を作ったり
まとめてから、楽器に向かったり
パソコンに向かうと、効率的でもの凄い意図通りになる。
むしろ、マウスやキーボードに向かう行為が面倒で
頭に、USBをさせれば良いのに、って
電波なことをいつも思う。

頭の中でひらめかなくて、
シンセの面白さ、斬新さや
手癖に依存して曲を作ろうとすると、
その機材の持つ特長や、新しく購入した音の
の衝動に任せて
気持ち的に、見つかっていなかったり、
モチベーションは低いのに
何か、良い作品が作れる感じ。
もちろん、良いことだし、
名曲と呼ばれるなかには、
こんな作り方も多いと思う。

けれども、
作ろうと思ったその時の
外側の機器や衝動や、その時の情報を得た作品や
事業、アイデア、思いつきというのは、
その瞬間の外側による支配が強くて
自分の核が存在しないし、
今後、絶えず、それを上回るぐらいの情報の力学が働かないと
作品が作れなくなってしまうのでは
って不安に思います。
外部に依存していると、何も作れなくなってしまうみたいな。
情報の麻薬みたいなものなのかな??

というわけで、
毎日自然と入ってくる
生活、情報の中で
自然と心に沸き立つ想いや考えで、
自分がきちんと深く解釈して
じっくり制作したり、まとめあげる方が長続きすると考えている。

何かを作りたかったり、
改善したり、チャレンジする時は、
その瞬間に、新しいことをリサーチして、
データベースに単純にストックするだけではなくて

自分は、どう思うのか、解釈するのか。
20年生きていれば、20年分。
40年生きていれば、40年分。
外部に答えがあるのではなくて、
その人が築き上げてきた、考えや
いろいろなケースを元に
他に依存せずに、
毎日の五感のインプットを鍛えることと、
自分の答えをじっくり見つけることではないかと。

常に仕事中にモニターを見続けているのって
情報を埋めていることが、ソーシャルゲームをやるような
行為に対する、空白を埋める安堵感であるけれども
本質的には、何だろうって思っている。

なんか、思っていることを、取り留めなく書いてみた!