じぶんできめてみる

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シンセサイザーを開発しています。

好きなことや、やりたいことは
自分で責任を持つ
14年目にして
ようやく、自分で開発費を捻出して
アーティストのように突き進んでいます。

10代は不適合な青年だったと思うのですが、
全てを捨てて、無責任になった瞬間に
滅茶苦茶だけれども
好きなことに無我夢中に突き進みました。

社会人になって、大きなヒットも経験できて
自由な環境を与えてくれた会社のおかげで
慎重かつ
大きな勝負ができたものと考えています。

自己責任の場合、
多くの人には経験できないような
映画のシーンによくある
時限爆弾のタイマー解除で、
赤い線か緑の線か
選択をしなくてはいけない。
その場面が来るものだなと思います。

どちらかを選ばずに時間だけ過ぎて
爆破させるよりも
例えば、
昨日、彼女からもらったプレゼントの薔薇は”赤”だ
という
直感で突き進む。

重要な決断の時は、
これで乗り切っていると思います。
だから、僕は二元論と言われます。

その時に周囲が感じる、非常識である
大きな決断であっても
それをしてきたから
今の自分があるとも思います。

そのトリガーというのは、
感動的で、面白いことがあって
自然と集まった開発メンバーによって
シンセサイザー作りが進んでいて
あれができる、これをやってみよう、
チャレンジしよう

細かい指示や調整をせずに、進んで行く。

作品なのか、製品なのか。

僕たちは、大きな会社の社員でもないし
合議制で決めるわけでもないし、
感覚で面白いって思うものに突き進む。

楽しんで、面白がって作る。

そもそも、UIはなぜ階層という概念があるのだろうか
人々の楽器を仮想空間の中で共有できないのか
など、
プロジェクトで集まった方々は、
好奇心もあり、どんどんチャレンジをしています。

僕は、生物のように環境に学び、
影響を受けて成長をする
あるいは、
次の世代の若い人たちに
環境を提供する立場なのだとも考えました。

楽しさを取り戻したとも、成功の感覚をつかんだとも言えます。

IMG_6419 (1)

ただし、数ヶ月連続して働き
仕事との境界線のない自分と、
その自分すら当たり前になっている環境
落ち着くことができない、
ベットや布団で寝ることのできない
自分も考えて

そして、それが普通だと見えている周囲も考えて
体力の問題もあり、迷惑がかかる前に
再び、青年期のように
大きな決断をする時期だとも思っています。

ユング中年の危機

僕は、崖っぷちに落とされ
崖っぷちから
這い上がる人生だと思います。
けれども、責任もきちんと解決をする。

自分の人生は、自分で決断、覚悟なのですね。

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この記事を書いた人

管理人です。多趣味です。
沖縄在住です。音楽好きです。ラジオが好きです。

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