「おもうこと」と「かんがえること」

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思うことは、「何もしなくても自然とすぐに沸き立つ」
考えることは、「自らの動機があること」

ビジネス書をよむと、
コミュニケーションは、しごとをうまくすすめる目的があって、
「考える」ことの共有、だけのような気がしています。

でも、ちょっと違和を覚えており、その謎が解けた気もします。

意識から沸き立つ
「思う」感情とは、「考える」ための源泉。

自然と沸き立つ感情「思う」を、お互い認め合わないと
損か得か、効果や合理性だけで、
付き合っている
何か成功しないと否定されるような
仕事への恐怖や不安が先行してしまうもの
と考えています。

「考える」ことは、その人の思考力や能力の影響をうける。
「思う」ことは、一旦は根拠のない感情や本心。

「思うこと」は
その瞬間においては
根拠も何もないですし、
自然な「思うこと」こそ、
その人が、親や周囲から、それまでに受け取ってきた
気持ちでも、愛であったりすると考えています。
(思いますといえないところが僕なのかも)

「思うこと」
というのは、他者に伝えにくい、言いにくい、正直なことが他者から否定されないか恥ずかしい。

自分が最近心がけていることは
「思うこと」を、ゆるやかに、そのまま言うことにしています。
思うことを言語で伝える。
ADコンバーターともいえるかもしれません。

「思うこと」を伝えることで、
相手は、自分の感じたことと同じである
間違っていないって、安心するかもしれませんし、
異なっていても
いろいろな人の思いを学ぶことができます。
心を閉じている人には有効です。

自分は、このように思った
と伝えることで
人によって様々な考えがある、同時に幾つかの感情が沸き立つ
緩やかに伝えることができるのではないか
集団の安心のためにも、重要なことに気づきました。

IT企業の多くにある、
言語外のメッセージ伝達問題。
問題解決に結び付けられる気もします。

僕が考えるようになったきっかけとは、

もともと
状況や物事の時間変化の気づき(思うこと)が早いのに
相手の表情や言動や
その前後関係のつながりの読みが進みすぎて、
理解している割に言語化できていない。

思っている=わかっているのに、即応の言語化が難しいので、
遅れてわかった際に
「あざとい」「計算高い」とみられるであろう問題がありました。

自然と、自分を低く見せること
感情に正直になり、面白いことにワクワク童心になる
演技でもなく、本当になりきれる。

周囲の方は、僕との距離を近づけやすい。

やがて思うことに気づく速度が速くなり
自分の感情を表出できずにいて
意図的に低く見せる自分に気づき
それでも、気づかずに態度を変更しない周囲に対して
最後に逃げ場のない突っ込みをする自分に豹変することもありました。

本当の自分=隙がない恐怖となる。

それならば、考える以前の「思っていること」を、
最速で言語化してそのまま相手に伝える。
相手が伝えたいのに、伝えられない思いを、僕がその場で言葉に変えてあげる
それが普通にできる人には、わかっていますと、伝えること。
創発につなげれば、人間的な思いの連鎖が起きるのでは
と気づき始めました。

ミラーニューロン

僕は「斉藤さん」を見ていて、
わりと多くの人が感情や思いをためていること
他者の存在やつながりの不適合など、
沢山のことを学びました。

あたりまえのことを、
その存在について説明するために
興味もあって伝えている気もします。

思いについて、
たくさんの教えてくれる人に支えられ
即応力が高まったとも思っています。

一方、その重さに気づきだすと、どうにかしようと考えること
自体に依存していると、とても深刻でもあります。

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この記事を書いた人

管理人です。多趣味です。
沖縄在住です。音楽好きです。ラジオが好きです。

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