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沖縄におります。

2014年から3年間。2〜3ヶ月に1回ペースで来沖しておりますが、

これほど来ていると、第二の故郷!といっても過言ではない。

 

今、6月の沖縄の天気は、雨のち晴れ、晴れのち曇り。

梅雨時は涼しかったり、暑かったりします。

海を楽しむには都合が良いのかもしれませんが、空は不安定です。

水着を持ってきましたが、うーん。

6/3土から金曜日まで1週間の計画で

 

・到着初日6/3は、石垣島へ直行。

川平湾でオフ。るらりやさんにお邪魔しました。

ゆっくり読書。面白い本。何かに通じるぞとか。

・仕事モードの月曜日(6/7)。

平日から那覇・宜野湾でホテルで缶詰になっています。

いつも、サポートセンターを検討するために、

那覇の沖縄県庁や市庁、オフィス巡りと、

心理学の勉強、後藤健治先生との「当事者研究」準備をします。

 

今回は、ブログで、心理学の2つのテーマを取り上げてみます。

今回のテーマは、「トシちゃん症候群」「情動を抑えること」

「1.トシちゃん症候群」

全地域全世代での「アイドル」が

全盛期を過ぎて「部分的、局所的なアイドル」になった際、

そうである自分、その場所やその時間において、

自分がどのように振る舞うべきかを自覚することが難しい(24時間アイドルを演じているから)

を例えた造語です。

対義語で「百恵ちゃん症候群」 マイクを置いたら別の人になれる。という表現もあります。

あなたは、この場所では「私とあなたの2者の関係である」しかし、別の私の場所においては第三者に、こうあるべき見え方をしてほしい。

二者間の常識が、三者や複数になった際に捉え方がことなるから。たとえ自分が「こう思っても」、他者は、もう思っていないことなのです。

例えば、

もし私が、ブーツとロン毛のロックおじいさんだとする。(内田裕也さんのように?)

私と子供においての関係と、私と孫の関係がある。

私の子供からすると、孫がいるときは、私がロン毛のロッカーだとしても、子供からは、孫にとって、どこにでもいる普通の人=おじいさんの振る舞いをしてほしいと、思われているかもしれない。

多くの人はいろいろな振る舞いを、その場所、その瞬間にすることが多いわけですが、今は(若い人は)、場面でどうあるべきか自分の振る舞いをすること、様々な人に合わせることが、自由で個性をのびのび育む裏で、難しくなっているのではないか。

と感じています。

 

自分は沖縄では、

「沖縄で生活をする内地の人」です。

一方、ゲーム業界では最近は引退気味ですが、「ゲームを作った人」

横浜で、最近自分を知る人や、会社では「社長」です。

家庭では「二児の父」であり、

ゲーム好きな人は「作曲・ミュージシャン」と見ているでしょう。

 

普通の人には想像ができない多面的な帰属や色々な側面があり

自己同一化がしづらい。

 

一方、新しい場所では、自分は、その場の人。

宜野湾では、IT(東京からアイテーの派遣仕事できている)綾野剛さんに似ている「なぐさん」でよいので、いちいち反応せずに気が楽です。

たまに、IT業界癖で、ポロっとカタカナが出ると気をつけます。

その場以外の自分が出てしまうと、相手に気を使わせるし、他の場面の自分のプライドが出てしまう。

仕事なんて適当にとか言われると、経営者として考えるし、今のゲームクリエイターはさ!だからつまらないんだよ、とか、ECっていうの?モノをネットで買わせて配達させるなんて感謝がない?なんて言われると、やってる方は大変なんだよ、ふざけるな!って自分の情動に引っかかる。

殴り合いになる。

(笑 他者と距離を置きたいなと思う理由の一つです。

 

「2.情動を抑えること」

自分の克服できない大きな問題です。

私は表情が乏しくて、感情のアップダウンが激しく、心がわかりづらいこと。情動を出すと、一気にキレて止まらなくなることと、その想像もしてしまう=パニックになること。

場の空気を維持しようと、話を転換したり、ボケたり、向かう方向を補正しようと努力しつつ、心の中では、他の爆発がパズルゲームのような連鎖が起こるのですね。

歳をとって、自分の体調や気持ちに正直になった裏返しで、怒ることも増え、面倒臭い親父になったとも言えるし、空気を読みすぎて、本当は反応することが早い自分は、感じること受けることの繊細さ(感じたことを伝えることではない)が同じような人でないと、心の距離を近づけるのは、難しいなと思うのですね。

自分の最大の問題、「適応しすぎる」ポイントを、緩やかに補正しようとしています。そのためには、

「部分的な自分」

その場面の自分をつくり「装う」=(マイクを置いたら普通の主婦)百恵ちゃん症候群と頭に入れるようにしています。

 

 

このような、日常生活でよくあるけれども、些細なこと、場面を自分はとても気になり、思いの外繊細で、そのせいで他者は窮屈になるのではと遠慮したり、「この多数派!」と「あざとい」とキレたり、適応しすぎな、いろいろなんとなく3年間。

周りは、僕について「面倒臭い人」で大変になってきましたが、

僕ははっきり言って楽になりました。

 

——

最近は、「産業カウンセラー」の本を読んで予習。

ちょっと学びながらディスカッションしています。

後藤先生、いつもありがとうございます。

沖縄で、学んでおります。