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堀江さんの多動力

内容は面白くて全部わかるので?10分で読み終えました。

 

 

自分を客観視する「メタ認知」というのか

厳しい「自己ツッコミ」が低くて、「自己肯定」が高い。

生意気ながら、もっともっと合理的になれば、最強なホリエモンと思いました。

 

そこで、個性を生かすためにも、多動な自分をある程度抑制して、合理的になるために

「自己ツッコミ」と、「自己肯定感」について、

普通の方は理解しにくいと思いますが、まとめてみました。

 


自己ツッコミとは

僕は、堀江さんと同じように子供の頃から、音楽、プログラムも好きなことに夢中になれる環境がありました。だから、今の43歳の自分があります。

多動で、いろいろ気づき、動く、話す、積極的に発言をする、、はずでしたが、「良いけれども」「悪いこと」がありました。

僕の時代は、多動がよくわからない、ガキ大将とされることが多く、更正=(自己ツッコミ癖のきっかけ)が早かった。ADHDなんて、YMCAじゃないかの時代。

幼いころから指導が厳しく、ADHDが過剰に適合をしすぎて、二次障害が起こる傾向がよくわかります。

一方、近年ADHDが増えたと言われるのは、自由にのびのび育てる教育によって、バランスを持って、多動をコントロールする

「衝動統制」が効かなくなっている傾向が強いです。

堀江さんの本も、自分本意の見方が強く、過剰だなと思います。

多動(あれこれ)の衝動統制(気づいて、後先考えずに行動をする)をバランスとること「自己ツッコミ」で、

・自分は当たり前と思っているけれども、自分は自分の人生でそう思うけれども

・多くの人は、こう思うだろうな、この場ではこうするべきだな

・自分の行動は、醜いなとか。

自分を厳しく責めること。堀江さんもきっとあるはずで考えてみました。


自分のこと

幼少期の自分は、感情や表情まで補正されたようです。わからないけれども。

何か嫌だなとか、アホだなと思っても、その表情が出た瞬間に

言葉を発するよりも早く、思いよりも先に、周囲の大人が、そうであってほしい、

「その場の取り繕うべき」しつけが、強かったのです。

大人に、この場面は普通はこうあるべきと指導を受ける=自己ツッコミの元の一つですが、実は大切なことを得ていませんでした。

自分が反省して突っ込むことや、

失敗する前に、大人が指導してしまって、表面上の態度と、気持ちが相違していたのです。

面倒な人が多いから、下げておけば無難。

 


昭和な自己ツッコミ

周囲は、感情が出ないから、過剰に遠慮するから

何を考えているのか見抜けにくいし

多数派的な配慮や空気読みだけはできているから、

駆け引きの「駆け」が少なくて、「引く」ばかりになる。

 

もともと思考や意識が多動なので、反応しない割に、周囲が驚く(気難しいのかな。)ほど気づいていたりして、引かれます(笑。

対人以外のものに頭いっぱいで向けておくことが、

トラブルを軽減して、仕事が生産的になる。

僕の無意識で得たように思いますし、ASDに見えるきっかけだったように思います。ADHDの過集中型の原因ではないかと、仮説を立てています。

過集中の時、

感情をその場は抑えても後からキレる、一時しのぎにしかなりません。

若い頃は、豹変して暴れるキレるをやったのですが、大人になったらできません。

悪いことに、後からだと、

「本来その場、その瞬間に出るべき感情」「まとめた考え」

一緒なので、理由が明確すぎて、逃げ場のないツッコミを他者にすることと、後出し感が強く最悪です。

面倒臭い人だらけだぞ。とか。

自分は、環境に影響受けやすく、

慣れない場面や状況に過度に適応しすぎる=感情が表に出にくい=適応障害の診断がありました。

自分はこう思うのに、環境はこうで、あの人はこうで、気分を害するなとか、思いすぎて感情を溜め込まないためにも

1)他者との心の距離を「一定以上おく」こと。合わない場所や人に無理に向かわない。自分と同等かそれ以上にわかる人には、そのまま伝える。

2)いちいち打たれない・反応しないために、心のレイヤーをわける。

3)ぶち壊れても本音を伝えるテクニックを得る。

と考えております。


両親、先生の指導が早すぎると自己肯定感が下がる。

凸凹なお子さん達とお会いして、少々ボランティア活動をした際に、お母様、お父様のどちらかが似たような気質に察しました。親御さんの苦労もあり、早すぎる段階で「子供を良い子」にしてしまう。

思考と口が早いので、両親は、自分のことのようにお子さんに突っ込んでしまうのですが、幼いのに「過剰な良い子」になっている。この状況を見て、自分が親に(本人の心よりも親が先に言わないこと)突っ込むと、素直に受け入れられないので、正直、未だ解決方法がわかりません。

幼少期は、ADHDの特性「衝動統制」が効かないのが普通。

ひたすら有頂天で前向きな状況、謙虚さが見られないと

日本の村社会や和を逸脱して、出る杭となることを

親は自分の経験もあって、大人の目線で間違って伝える。

 

例えば、「バチが当たる」として、

せっかくの個性や才能を紡いでしまうのです。本来の特性が評価されることよりも、周囲に合わせることを強いられるためにに、自己肯定感がなくなります。

本人の感情速度よりも、多弁な親が爆速でツッコミ。

感情や意識の表出だけが遅くなるために、後から気づく。面倒とも後出しとも言える。

テレビのワイドショーで、様々な役をこなせる(場に合わせる、演じられる)

天才な子役のフリートークを見ていると、心が痛くなります。大人に合わせすぎる。

同年代の子供とは話が合わないし、合わせることがストレスだし、そうであることを言えないことも知っている。

成長とともに、緩やかに身につけるには、どう教えるべきか。自分の課題でしす。

 


多動力&自己肯定感 vs 自己ツッコミ

堀江さんの本を読んで、物語としては面白いし、自分もここまでだせたら本来の自分だよねって思います。すごい羨ましい、でも今の自分、生活があっただろうか。今の自分、バランス良い気もします。

凸凹で苦労している人にはヒーローでしょうけれども、一般的な社会においては、ある程度、自己否定まではいかなくても、自分の内面や意識について、疑うというのか、客観視して、観察をする力は大切です。

堀江さんがすごいのは、自分の理想の環境を作ったからできます。

一般的には、この気質で、会社や学校が長続きしなかったり、うまく周囲に溶け込めない場合、自己肯定感が強すぎて、周囲に合わせられないか、昭和の自己ツッコミの功罪、過剰適合しすぎると思うのです。

歳とともに、どちらかに極端に偏って失敗を繰り返し、不適応になる。

ADHDは、多動力や衝動性によって、乗り越えたメリットも大きいために、自己ツッコミを素直にプラグインできないことが多い。

「のびのび自分の正直」であることと(のびた、ジャイアン)

行きすぎず(自己正当化)

他者や周囲を察して「自分を突っ込む」

ことのバランスですが、

合理的なADHDを目指したいと思って

バランスは、ぶつかりながら中心に合わせる

「振り子」をイメージすることと

大ショック、挫折などトラブルを体験して

同じ間違いを繰り返さないための分析こそ

自己ツッコミと考えています。

 

沖縄で学んでいる内容です。

次回は、多動の良い面について当事者研究してみたいと思います。

後藤健治先生いつもありがとうございます。