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ファーストフードに行かなくなってしまいまして

特に、フライドポテトが食べたいけれども、
匂い→臭いと単語を置き換えて、
口の中が、油臭いな、とか、満員電車に持ち込まれたフライドポテト
とイメージすると、食欲がなくなります。
本当は食べたいのですが。

先日、ファーストフードでコーヒーを飲んでいたのですが、
右側から、シャカシャカ
左側から、シャカシャカ
シャカシャカサウンド合戦でして、

フライドポテトの入っている袋に
あやしい、粉末を入れて、シャカシャカしている。
シャカシャカサウンドなわけですが、
たぶん、アイデアや発想が面白いと思うべきなのでしょうけれども、

音が耳障りでして、お店をでました。
口に入れる食べ物を、振って、下品というのもあるのですが、
考えてみれば、サウンドっていい加減で

街中いろいろな音であふれているものの
どうも、サウンドに関しては、あまり考えないのだ。

駅の発車音楽というのもありますが、
サウンドが豊かになり、表現の幅が広がると
逆に、情緒がなくなり、低俗になっていきます。
音色=サウンドにも、流行り廃りがあります。
その時代に、先端な音色でも、数年で格好悪くなる。
さらに、音色やアレンジでごまかせる。

JRの発車サウンドが優れているのは、抑揚も少なくて
淡々としているけれども、その駅の味があって、
口ずさめる、単音でメロディがしっかりしているから。

音は、極力シンプルな方が良い。

日本だと80年代、マリーシェーファーによる、
サウンドスケープという言葉がはやりまして
僕も大学受験をするとき習ったのですが、
目に見えないことへの意識が弱いかなと思うのですね。
渋谷の駅前とか、最近聴かない気もしますが、
ポップス垂れ流しとか、どうかと。

また、聴き手の感じ方もあって、一方で
スナックから漏れる、音痴なカラオケで、
アジアというか、日本っぽさに、なにか良いなと。

人の声も重要で、
波形が緩いというか、鋸型ではなく、山型のサウンドが
温もりがあって、
例えば、人の声も、その人の性格やテンポ、スピード、生活感がわかる。

なにか、感じたときに
言語的な理解ではなく、
音として、話を聞くと、日本語なのに、日本語じゃないような
面白さがあります。
子供のころ、ハングルを聞いて
アジアの似たような人が、ほかの言語を話している
不思議な感覚みたいに。

サウンドとして、いろいろ解釈をするのも面白いです。