音楽を作る気持ちというのは、演奏をするエネルギーとは異なっていて
メロディーを書いて、歌ってハーモニーを付ける作曲も
スケッチをして色を入れるような、編曲も、
こころの「空間」を伝えたいということと思います。
大好きで、なぜか長い間聴いていなかった、
矢野顕子さんの「DAVID」を取り上げたいと思います。
薀蓄を書いてしまうと、
1986年、バブル前後で世の中が元気なことも影響あると思うのですが
この曲も、外向きのパワフルで切ない雰囲気。
歌が入る前、ほとんどバッキング(コード)が印象的なイントロで
それでも、強さと、明るさと、アカデミックさと、
当時のAOR系のカチカチ感。
「果てしない」で登って行って、「ひとり」のフレーズから
下がっていくわけですが、その切ない下がりを、部分的な転調(一時的な)でおさめてます。
僕は、メロディーと、歌詞と、ハーモニーの表現で、グッときます。
「時間も場所も」で、一方通行の出口は一つ。
ここしか行く先はない。といった収束する音の響き。
「ここへ置いていって」
実は、このあたりだけ、アコースティックなピアノが登場。
さらに、煌びやかな、フレーズの返事。
作曲の仕事をするときに、理屈で考えずに、音の空間で面白い和音にする。
雰囲気を伝える。
調整感のない転調は、教授や矢野さんで学んだ気もします。
音の情景もつたえることは、本当に要素が多い。
後で考えれば、理屈だらけですが、
最近、歌詞も、メロディも、音色も、この曲にこれ!は少なくなった気もします。
良いものは、良いと言いたいけれども。
自分は、この和音は、これこれ。
音は、DX-7(この時代の楽器)のスタッカートとか、分析はできるのですが、久々に作曲をしていて、心からピュアに出る音ができないなぁと、楽器に向かっています。
中年になって、若い頃と比べれば悩みも問題もある程度自己解決できて
強くて冷酷な大人になった気もします
強いということは、繊細さを失うこともであり
図太い、腹黒いとも思うのです。
心が強くなってしまったこと
それと、
クリエイティブは体系化できない。難しい
複雑なことです。
言葉にする=SLACKのような”ことば”時代の中
心の表現というのは、図太さとは反比例で
音楽の表現は、むずかしいですね。
うーん。
DAVID=旧約聖書のダビデ王とのことだそうです。